妙光寺新聞『お釈迦さまからのお便り』第3ページ
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  1. 妙光寺新聞 平成17年1月号 79号
  2. 妙光寺新聞 平成17年8月号 81号

 


妙光寺新聞 平成17年1月号 第79号


一年の計

 「一年の計は元旦
にあり」という。
 新年を迎え、心
を新たにすることは
大切なことです。
が、「人生に卒業なし」という言葉があります。 つまり私たちの日々は、昨日があるから今日があるように、今日がある限り明日も又続いてきます。
ある日、突然新しい日が飛び出して来る訳ではありません。だから、生活を改善するということは、木に竹を接ぐようなものではないのです。
一日一日を改善にむかって弛(たゆ)まぬ努力を続けていってこそはじめて目的を達することが出来ます。
「上をむいて歩こう」
それもまことに結構なことですが、
「足下の豆盗まれる案山子(かかし)かな」
という句もあります。
一歩一歩、しっかりと足下を見ながら明日を迎えたいものです。
◆お釈迦さまのお言葉 法句(ほっく)経(きょう)165

自ら悪をなして 自ら汚れ
自ら悪をなさなければ 自ら清い
けがれと清浄とは 自らによる
いかなる人も他人を清めることはできない

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南無妙法蓮華経(  な  む みょう ほう れん げ きょう)とお題目(だいもく)を唱(とな)えましょう
★ お題目を唱えると、お釈迦さまは救いの手を差しのべられます。
★ お題目は三世(過去、現在、未来)を救います。ご先祖様も子孫も安心です。
★ お題目を唱えて、悟りをめざし、行いを正しましょう。誰でも仏になれます。
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◆い つ く し む こ と      身延山久遠寺前法主 故岩間日勇猊下

法華経の序品の中に、
 「慈を以て身を修め、善く仏慧に入る」
ということばがあります。

慈とはいつくしむことです。なさけぶかい心です。あたたかいこころです。少しでもまわりの人びとを明るくしてあげようとつとめる心です。

身を修めとは、こういう心で常に行動することです。身内だとか、親戚だとか、友人だから親切にしよう、というのではなく、知る知らないにかかわらず、できるだけ広く、あらゆる人に対しても、常にこの心をもって接することです。

善く仏慧に入るとは、仏慧は仏さまの智慧でありますから、仏さまさまのようにものを見、ものを考えることができるようになる、ということです。仏のように常にいつくしみをもって見たり、聞いたり、考えたりし、その心で行動できるようになれば、仏さまのごとく明るく、楽しく安らかに生きられるようになる、という意味です。

 親しい人だから親切にする。したがうから愛する、おとなしくするから可愛がるというのが、私たちの日常の心です。もちろん間違いではありませんが、他人には知らぬ顔で過ごす、逆らうとすぐ憎む、言うことを聞かないから嫌うということが裏にあつて、これもあたりまえと考えています。これが凡夫の凡夫たるゆえんです。

 仏さまのいつくしみとは、すべてに差別なくささげるものなのです。広くあらゆる人びとを愛することなのです。従えば愛し、逆らえば憎むというのでなく、いつ、いかなる場合、いかなる人に対しても、できる限りのまごころと、親切をささげることができるようになれば、それだけ仏さまに近づくこととなるのです。

 憎しみや怒りや愚かさを捨
てて、仏さまのようにいつく
しみをささげつくすように
努力することです。「仏心とは大慈悲これなり」と、仏さまは説かれています。
だから私たちも、人びとにできる限りのいつくしみを捧げることで、仏さまの心をわが心とすることができるのです。常不軽菩薩は、自分を罵(ののし)る者、嘲笑(あざわら)う者、馬鹿にする者、怒る者、杖で打つ者、石や瓦を投げ付ける者、憎しみをもって立ち向かう者た
ちに、いささかも逆らわ
ず、礼拝しつづけました。
そしてその人たちの幸い
を得ることを、心から祈
り願いつづけました。

法華経にでているこの菩薩の物語りは、まさしく仏さまの大慈悲心の実行を示しているではありませんか。このためにこの菩薩はやがて六根清浄とて、正しく見、正しく聞き、正しく感じ、正しく知り、正しく行うことができるようになり、ついに仏と成った、とあり、さらに自分を迫害したそれらすべての人を教え導いて、仏のごとき安楽にして幸いの境涯に入れしめたとあります。

「怒りや憎しみをもって」立ち向かってくるのを忍んだばかりでなく、その相手の幸いを念じて努力したのです。なんと立派なことでしょう。仏さまのおぼしめしに叶うのは当然です。
だから私たちも、小さいなが
らも愛情を、まごころを、親切
を、できるかぎり、広く人びと
にささげましょう。相手が受け取ってくれなくても、またそれを誤解しても、さらにそのためにつらくあたられても、愛情を、まごころを捧げることは正しいことです。尊いことです。立派なことです。
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日蓮聖人のお言葉 (祈祷鈔)
「天は必ず戒を持ち善を修する者を守る」

このお言葉は、文永9年(一二七二)日蓮聖人が51歳の時、佐渡の地でお書きになられた「祈祷鈔」の一節です。この一節は「天、つまり諸天善神は人としての守るべき戒を保ち、善事善行を行う人を守ってくれる」という意味です。
信仰とは、神仏を信じることで、頼ることではないと言います。一方、祈りの無い宗教は無味乾燥とも言います。人間とは弱いもの。普段信仰など見向きも しない人が、「苦しい時の神頼み」「タナからボタ餅」をつい願ってしまうもの。それ自体悪いことではないのですが、その 祈りや、願いが叶うかどうかは別 の問題です。

諸天善神は、人間としての道(戒)を守り、利他(善)の生き方をする人を守るのです。この、人としての当たり前な生き方を「法」と言い、その「法」のと おりに生きると、神仏の守護を得ることが出来、この「法」の不思議さ、有り難さを「妙」というのです。諸天善神に守護される「戒を持ち、善を修する」生き方、そんな「妙法」の信仰をしたいものです。
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◆星月菩提樹のお数珠が入荷しました。
八寸 七〇二五円、 尺 八〇二五円
(菩提樹の木の下で、お釈迦さまはお悟りを開かれました)
◆月例御施餓鬼祈祷会毎月一日午後一時
 ご先祖の供養のため、ご自分の運勢を開くためご参詣下さい。どなたでもご参加できます。
◆元旦初祈祷会の御案内
平成十七年一月一日 午後一時
 一年の計は元旦にあり。笑う門には福来たると言います。初詣に参加して、良い一年をお迎え下さい。
 ご参詣の皆様には、お札・暦・破魔矢を差し上げます。お誘い合わせの上ご参詣下さい。
◆寒 行
 一月二十日(大寒)〜二十六日
 夕方六時から七時、本堂でお題目をお唱えします。ご参加下さい。
◆星祭りお守りの申込〆切二月一日
星祭りの祈願を受けて、一年中安心して明るい幸福な生活を送りましょう。
◆仏教守護神大祭・特別大祈祷会
二月十一日 午後一時
修法師をお招きして、大祈祷会を行います。
特別祈祷札 申込〆切二月一日
*入学祈願など、忙しい御祈願は、前もってお札を差し上げます。早めにお申し込み下さい。
◆災害義捐金受付
ご協力をお願いします
◆日蓮宗のホームページでは、日蓮聖人の教えや、日蓮宗の活動が、映像と写真で紹介されています。是非ご覧下さい。
 (http://dendo.d-nichiren.jp/)


◆身延山久遠寺のホームページでは、年間行事を、映像で見ることができます。法話を聞くことができます。こちらもインターネットでお訪ねになってみて下さい。
(http://www.kuonji.jp/main001.htm)

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妙光寺新聞 平成17年8月号 第81号


盂蘭盆(うらぼん)

祖先は根であり
子孫は枝葉である

枝葉を繁らせるには
まず根を培うことだ

祖先を敬い
その霊を弔う家は

自然に子孫が栄え
家門がさかんとなる

祖先を疎略にして
栄えた家はかつてなく

霊をないがしろにして
衰微した例はいくらもある

祖先感謝の盂蘭盆に
心から追恩の誠を捧げよう
(身延山久遠寺前法主 故岩間日勇猊下)



◆常に希望を

イヤーな世相といえます。汚れた環境、不正・腐敗の横行、荒れる人心。悲観するなというのが無理ですが、しかしお経は、ありのままの現実を認めよ、目を開けてよく見よ、そこには安穏の人生があるだろう、と教えています。要は常に希望。法華信者は泣かないはず。

「楽観のススメ」が最初のメッセージです。なのに、暗いお話ばかりしてきたのではないか、問われているのは僧侶の自分でもあります。

次にどうすればいいのか。仏の慈愛の確実なこと、私が救われた(実は最初から救われている)喜び、これを自分の言葉で語ること。その連続です。しかし語るのは、むずかしい。だから勇気をチョッピリ噴射。

「喜びを語ろう」が第二メッセージです。法華経は、そのような「語り部」の行為を讃え、恩典を示してつきることありません。

第三のメッセージは「期待される私たち」となりましょうか。

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◆日蓮大聖人の生き方に学ぶ

 「日蓮」の名のりにこめた自覚を、日蓮大聖人はこう述べています。
 「およそ、名ほど大切なものはない。日蓮と名のる事は、自ら法華経の一仏乗を信じ理解したからである。このように言えば、利口ぶっているように聞えるが、法華経の説く道理の指すところに従えば、さもあろうと思う。法華経には、「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」とある。「斯の人」とは、釈迦牟尼仏より、末法の世に法華経をひろめるよう委託された上行菩薩が、末法のはじめに出現して、南無妙法蓮華経の光明をそそいで、生死の苦しみをさまよっている人々の心の闇を照らす、という事である。
 日蓮は、この上行菩薩のお遣いとして、まず日本国の人々に法華経をすすめるのは、この経文の通りに実行しょうとしているからである」

 さらに、次のようにも語っています。
 「闇であっても燈をつければ明るくなる。濁った水でも月が宿れば澄む。明るいことは日月の光にすぎるものはない。浄らかなことは蓮華にまさるものがあろうか。法華経は、暗い世
の中を明るくし、濁った人の心を浄める日月の光と清浄な蓮華なのである。そこで、妙法蓮華経と名づけられ
ている。日蓮もまた、その日月と蓮華のように生きるものなのだ」

 太陽の光のように明るく
 まっくらやみの世の中と、人の心の闇をとりのぞいていこう

「蓮はきよきもの、泥よりいでたり」(『重須殿女房御返事』)という教えが示されております。蓮華は、その根が泥水の中にあっても、それに染まることなく浄らかな花を咲かせるように、人もまた煩悩で汚れたこの俗世間にあっても、その影響を受けることなく浄らかでありなさい、というおさとしであります。これを法華経には、「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如しl(従地涌出品第十五)と説かれています。

 泥にまみれながら、花を咲かせる蓮華のようにきよらかに
 世と人の煩悩の垢や泥を洗いながし、身も心もきよめていこう

 日蓮大聖人は、こう誓願してみずから「日蓮」と名のり、仏の遣いとして生き、菩薩行に身を献げることを誓い、人々に「法華経」の信仰をすすめられたのです。
太陽のように生きる生き方、蓮華のように生きる生き方を!

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南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)とお題目(だいもく)を唱(とな)えましょう
★ お題目を唱えると、お釈迦さまは救いの手を差しのべられます。
★ お題目は三世(過去、現在、未来)を救います。ご先祖様も子孫も安心です。
★ お題目を唱えて、悟りをめざし、行いを正しましょう。誰でも仏になれます。

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◆土用丑祈祷会行われる
7月28日土用丑祈祷会が開かれ、頭痛除けほうろく加持、小児虫封じが行われました。

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◆第44回信濃夏期仏教少年少女学園
第44回信濃夏期仏教少年少女学園が、7月29日〜30日、佐久穂町臼石荘及び高明寺で開催されました。18名の小中学生が参加し、当山からは、和田一恵さんが参加しました。仏教のお話・お経練習・乙女の滝散策、お釈迦さまのアニメ・花火大会など楽しみました。


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◆星月菩提樹のお数珠が入荷しました。
八寸 七〇二五円、 尺 八〇二五円
(菩提樹の木の下で、お釈迦さまはお悟りを開かれました)
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◆月例御施餓鬼祈祷会毎月一日午後一時
 ご先祖の供養のため、ご自分の運勢を開くためご参詣下さい。どなたでもご参加できます。
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◆統一信行会開催のご案内
 日時 9月10日(土)
 会場 飯山市本光寺
 講師 富士市宝蔵寺 平野譲山上人
 「安心と信仰〜信仰の相続を考える〜」
   ご参加希望の方は妙光寺まで

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