妙光寺新聞『お釈迦さまからのお便り』第2ページ
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  1. 妙光寺新聞 平成11年1月号
  2. 妙光寺新聞 平成11年8月号
  3. 妙光寺新聞 平成15年1月号
  4. 妙光寺新聞 平成15年8月号
  5. 妙光寺新聞 平成16年11月号



妙光寺新聞 平成11年1月号 第73号

謹賀新年
新春を迎え皆様の
ご健康とご多幸を
  お祈り申し上げます

人生歩けば
デコボコ道さ
だから要るんだ
心の杖が

見よう見まねで
合わす手に
やどる
すなおな
菩提心
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 今月の法話

  お題目のパワー
日蓮聖人は五十二歳の時、初めて大曼荼羅を図顕なされました。報恩抄 に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と示されておりますが、大曼荼羅には南無本仏とも南無釈迦牟尼仏とも書かず、南無妙法蓮華経と書かれました。なぜでしょうか。
もちろんこの妙法蓮華経というのが、私たちが読んでいるお経の事でないことは明らかです。仏を本尊とせよと明言しているのでありますから、経を本尊とすべき事ではありません。
ではお題目とは一体何でしょうか。南無妙法蓮華経とは本門の本仏の限りない働き、お力の事です。現代的に表現すると本仏のエネルギー・パワーではないでしょうか。インド・ネパール、あの過酷な環境でも、ただひたすらお題目を唱え広めている多くの人々がいます。お題目の大きな力、パワーをまざまざと感じます。
 本仏お釈迦さまを信じ、お題目をお唱えしましょう。
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  一瞬の今を大切に
魂は、ローソクの灯が消えるように、無くなってしまうという考え方 と、肉体は滅しても生き続けるという二通りの考え方があります。
平成十四年(二〇〇二)、二十一世紀という新しい時代の幕あけとともに、私たち日蓮宗は「立教開宗七百五十年」を迎えます。
先日、臨死体験者のビデオを観せていただきました。病室に寝ている自分をもう一人の自分が上の方から見ている。暗いトンネルを光に向かって、どんどん歩いていくと、突然花園に出て、遙か向こうに川が流れ、渡ろうとすると、後ろから声をかけられて戻ってきた。館のような場所に赤鬼、青鬼などがいて追い返されたなど、洋の東西を問わず、大勢の人が同じような体験をしています。
私たちは過去、現在、未来にわたって生きているといえます。それは昨日があって明日があり、川の流れのように未来から現在、そして過去へと流れ、今の一瞬一瞬が未来を決める原因となります。今を大切に精進努力することが大切です。
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 「此経難持」である訳
この経は持ち難し。南無妙法蓮華経と身・口・意三業に唱えることは難しいのです。でも日蓮聖人は私共を導くために次のように教えておられます。
聖人の唱えられる題目の功徳と、我等が唱える題目にちがいがありますか、という松野殿の問に対して、「少しも勝劣はありません。なぜならば愚者の持てる金も智者の持てる金も、愚者の燃す火も智者のともせる火もはたらきは同じであります。しかしこの経文に背いて唱えれば功徳 は異なります。懈怠、計我、浅識、着欲、不解、不信等の悪因をはなれ一心に唱えることが肝要」と。
世間のことでもつまらぬことは簡単ですが秀でることには努力がいります。品物も安いものは楽に手に入りますが高価なものは容易に手に入りません。仏教の最高の教え、そのエキスが南無妙法蓮華経です。お題目の修行のもと速成就仏身の大利益を頂こうではありませんか。
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りっきょうかいしゅう立教開宗とは、建長五年(一二五三)四月二十八日、日蓮大聖人が故郷の清澄山(現在の千葉県清澄寺)・旭の森の頂で、はじめて南無妙法蓮華経とお題目を朝日に向って唱えられた事で、日蓮宗の始まりです。
 日蓮宗では、立教開宗七百五十年を迎えるにあたって、次の目標を掲げています。
1,立教開宗は、お題目から。
2,お題目の信心修行に精進しよう。お題目を唱えるよう人々にすすめていこう。

3,立教開宗の意義を学び、語り合い、日蓮大聖人の誓願と報恩の心をうけつぎ、正法をひろめて、国や社会の平安をめざしていこう。
4,立教開宗七百五十年をお祝いし、日蓮宗ならぴに寺院・教会・結社の興隆をめざして、慶讃事業にとりくんでいこう。

当山妙光寺でも、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃事業として、本堂東側庫裡の改修及びその他附随事業を計画致しました所、早速御寄付賜りありがとうございました。お陰様にて本堂東側庫裡は、十年十月三日上棟、壁・床など日毎に工事が進んでおります。十一年二月頃には完成できるのではないかと思います。
その後は、本堂の天井・壁、庫裡の廊下、弁天堂付属建物取り壊し、稲荷社建設など計画されております。皆様には引き続き御支援御協力賜りたく宜しく御願い申し上げます。
◆月例御施餓鬼祈祷会 毎月一日午後一時
◆寒修行 一月二十日〜二月三日
午後六時より二時間
心と体を鍛える修行です。ご参加下さい
◆星祭りお守りの申込〆切二月一日
星祭りの祈願を受けて、一年中安心して明るい幸福な生活を送りましょう。

◆仏教守護神大祭と特別大祈祷会
 仏教守護神様(弁財天・大黒天・鬼子母神)の大祭を左記により行います。
あわせて厄除け特別大祈祷会を行います。多数お誘い合わせご参詣下さい。 
      記
日 時 二月十一日 建国記念日
 午後 一時  仏教守護神大祭
  〃  二時  特別大祈祷会
  〃  三時半 古い御札等のお焚き上げ
  〃 四時  茶話※厄除け・特別祈祷等を申し込まれる方は、二月一日まで
にお申し込み下さい。
  御祈祷料   三,五〇〇円

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妙光寺新聞 平11年8月号 第75号

天地の隔てをつくる

他人の失敗を
口ぎたなくののしる人がある

しかしよく見ればその人の
何と欠点の多いことか

他人の美点を
心から称揚していた人がいた

しかしその人の何と
長所の多かったことか

ののしる人よ
ののしることがすでに欠点なのだ

美点をみよ
美点を見ることがそのまま長所となる

わずかこれだけのことが
人として天地の隔てをつくることを知れ
 (身延山法主 岩間湛良猊下の御言葉)

南無妙法蓮華経と唱えましょう
★お題目を唱えると、お釈迦様は救いの手を差しのべられます。
★お題目は、三世(過去・現在・未来)を救います。ご先祖も子孫も安心です。★お題目を唱えて、悟りをめざし、行ないを正しましょう。誰でも仏になれます。

お彼岸法話 『六つの行ない』
 彼岸の頃は、暑からず、寒からず、自然にも恵れ、しのぎよい季節になります。
 彼岸とは、もともとは梵語(古代インドのことば)でパーラミターといい、中国で漢字をあてて「波羅蜜多」と書き、これを「到彼岸」と訳したことにもとづいています。苦しみや迷いにみちたこの世界を「此岸」といい、その苦しみをこえた永遠の悟りの世界を「彼岸」といいます。到彼岸とは精進と修行によって、悩み迷いの多い煩悩の此岸をはなれて、悟りをひらいた救いの世界である彼岸に到達するという意味です。
 また、日蓮聖人は、お釈迦さまの説いた真実の教えである法華経こそ、迷いの岸から仏さまの浄土へと人々をのせてはこぶただ一つの大きな船であるとのべ、次のように示しています。
 生死の大海を渡ることは、法華経にまさるものはない。法華経をのぞく諸の経は、筏であり小舟である。法華経は、星の中の月であり、くらやみを照らす日の光である。渡りには大船となり、生死の此岸より生死の大海を渡して彼岸の宝山へと渡すのである(薬王品得意抄)
 さらに日蓮聖人は自ら、「我れ日本の大船とならむ」と誓願し、苦しみの海に沈んでいる人々を救助し、お釈迦さまのいる浄土に導いてゆくために命をささげられました。
 お彼岸に、お墓参りに行くこともまた、彼岸会の先祖報恩の大事な行事であり、そうして、家庭の幸福を見出すことが、此岸の中に彼岸の世界を見出すことでありましょう。
 彼岸の行ないとしては、お釈迦様は六波羅蜜をお示しくださいました。

 六波羅蜜
一、布施 人に教えや財をもって恵むこと
二、持戒 戒律をたもつ行ない
三、忍辱 苦しみにたえぬく行ない
四、精進 心身をうちこんで精進すること
五、禅定 心を不動のものにする行ない
六、智慧 根本真理を体得する行ない

 六つの行ないを身につけて修行する自己反省と、自己完成を期するために修行することは、私どもが毎日心がけねばならないことです。
 この彼岸会は、仏教的生活から離れている私たちに、せめて一週間だけでも仏道的生活に親しむよう設けられたものと思います。この彼岸会の意義を心から理解して、単なるお墓参りから仏道を徹底的に修行する一週間としたいものです。
★親と子は 次第送りと知るならば
       次第送りに 孝行をせよ
★親によき物を与えんと思いて
  せめてする事なくば
   一日に二三度笑みて向えとなり

  お花祭りと立教開宗会
お釈迦様のお誕生をお祝いする御花祭りと、日蓮聖人の立教開宗会を左記により執り行います。併せて、皆様の家業繁栄安全を祈る祈祷会も行ないます。
潅仏会は仏教の始まり、立教開宗会は日蓮宗、私達の信仰の始まりです。また四月十八日は先師日温上人の祥月命日でもあります。参詣の皆様には、心身を清める甘茶を差し上げます。皆様お誘い合せの上御参詣下さい。      敬具
      記
日程 平成七年四月十八日(火)
 午前十時半 受  付
  〃十一時 法  話
 正   午 昼食呈上
 午後 一時 潅仏会と立教開宗会法要
  〃 二時 法楽加持
  〃二時半 茶話

 妙光寺門のわきの枝垂れ桜(身延山より移植)お花祭り当日が、ちょうど満開のようです。
 

  《忍辱》について
 忍辱とは、たえしのぶこと。他人から受ける迷惑や侮辱迫害をじっとたえしのんで、生きること。心をいつも平安に保って、絶対にいかりの気持ちを起こさず、他人を許す……これが忍辱の修行です。
 生きとし生けるものには、つねに迷いと煩悩があります。それがためにいくら努力しても、知らず知らずのうちに他の者に迷惑をかけてしまいます。
 自分に気に入らないと八つ当たりをしたり、ブスッとして人を不愉快にさせたり、思うようにならないといって恨んだり……。不用意にしゃべった言葉で人の心を知らないうちに傷つけたり、それを相手に許してもらって生きているのです。
 だから自分も、いやなこと、つらいこと、悲しいことをじっと耐えなくてはなりません。それが忍辱を修行する第一歩です。
 そして次に一歩すすんで積極的に相手を許す心を持つ……、耐えがたい誤解を受けようと、どんなひどい迫害にあおうと、それから逃げず、怒りや恨みをおさえ、一生かけてこれを許す。
 しかし忍辱の修行には、つねに布施の心と仏さまの知恵が必要です。何を許して何を許してはいけないのか、見極めなくてはいけません。
 たとえば、侵略のための戦争にかり出されて、苦しい戦いに明け暮れる……、こういう苦痛を我慢するのは泣き寝入りであって、忍辱の修行にはなりません。
(仏教コミックス『ブッダへの修行3』)

 《持戒》について
 人間は肉を食べ、魚を食べ、野菜を食べ、毛皮を着、他の命の上に自分を養っています。どんなに気をつけても、一生の内に、蟻一匹をも殺さないで生きていくことはできません。どんなに気をつけても、不殺生戒を守りきることができません。
 またどんな生命も、他の命をいただいて命を養っています。食物連鎖の世界。どんな生命にも天敵があって、異常繁殖をおさえ自然界のバランスを保っています。
 生きていく上での必要最小限の殺生は仕方がないことですが、経済活動のために、一網打尽に魚など取り尽くしてしまう最近の傾向、スーパーなど、店の信用とかの為に、まだ充分に食べられる物でも捨ててしまう、最近の日本の経済行動は非常に疑問を感じます。
 では不殺生戒は何のためにあるのでしょうか?
 戒は破られるためにある。それぞれが、その戒を守りきれないおのれの弱さを知るために、戒があるといえるでしょう。
 戒を破った己の弱さを知り、自分と同様に他者もまた弱い存在であることを知らねばなりません。そうすれば、他者の過ちも許す心が生まれるでしょう。これが持戒の本当の意味です。
(仏教コミックス  『ブッダへの修行2』
より)

◆法衣奉納寄付お礼申し上げます
一、法衣一式      檀信徒一同様
 檀信徒御一同様のご協力によりまして、妙光寺17世宮淵泰存上人に、大僧都昇叙に伴う御僧階にふさわしい法衣を一式奉納できました。ここに檀信徒皆様に厚く御礼申し上げます。
                          妙光寺総代一同

合掌 さてこの度は、檀信徒御一同様のご協力によりまして立派な法衣を御寄贈賜り、誠にありがとうございました。
早速御宝前にお供え致し、御報恩の法味を言上し、併せて御尊家様の家内安全と身体健全を御祈念申し上げました。今後、行事や法要で被着させていただきます。
記念品として信徒袈裟を用意しました。この袈裟は仏教徒としての証として、朝夕のお勤めや、身延山などへの参拝の折りや、法事・葬儀などの席で、お数珠とともにご被着下されば幸甚です。ここに記念品をお届け致し御礼の御挨拶と致します。                     敬具
                          妙光寺十七世  宮 淵 泰 存
檀 信 徒 各 位 様

[総代会より会計の中間報告]
平成6年11月末日現在で、約五百万円のご寄付をお寄せいただきました。第一次法衣支払いが約二百二十万円、記念品代等が約二十五万円です。
 寄付金に余裕がありましたので、第一次で用意できなかった、冬用の五条、夏用燕尾帽、夏冬角帽子、夏冬差貫袴等を追加購入させて戴くことになりました。それでもまだ相当の残金が出ることが予測されましたので、それを大変に傷んでおりました本堂の畳と絨毯の取り替えにも使わせて戴き、それで残った浄財を今後傷んだ法衣の購入に積み立てさせていただくことに決定させていただきました。檀信徒の皆様には、ご協力賜りましたことを厚く御礼申し上げますと共に、宜しくこ了承下さいますよう御願い致します。

◆お陰様で
  ご寄進ありがとうございました
一、金十万円也     内山 吉蔵様
一、金一万三千円也   柳沢 利美様
お寺のことに使わせていただきました。 

◆阪神大震災義援金募金の御願い
 日蓮宗救援対策室では、被災地への懸命な救済活動を行っています。現在この地域の日蓮宗寺院も全壊七ヶ寺、半壊・部分被害が数十ヶ寺にのぼります。
 当山も被災地・被災寺院の復興のために今後長期にわたり募金を行いたいと思います。檀信徒皆様のご援助を御願い致します。
一、金二万円也     春日屋延子様
一、金二万円也     中野 里香様
以上の寄付金と、募金、寒行の浄財などから、妙光寺として通計十万二千円義援金を、日蓮宗の災害対策本部を通じて送りました。また信行閣教会も、寒行の浄財より三万円、義援金を送りました。
ご協力誠にありがとうございました。

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妙光寺新聞 平成15年1月号

謹 賀 新 年

新春を迎え皆様の
ご健康とご多幸を
  お祈り申し上げます


◆『心の季節』(石川教張上人)

心にも四つの季節があります
人に接するときは、
春のような温かい心
仕事をするときは、
夏のようなあつい心
考えるときは、
秋のようなすんだ心
自分を見つめるときは、
冬のような厳しい心

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南無妙法蓮華経とお題目を唱えましょう
★ お題目を唱えると、お釈迦さまは救いの手を差しのべられます。
★ お題目は三世(過去、現在、未来)を救います。ご先祖様も子孫も安心です。
★ お題目を唱えて、悟りをめざし、行いを正しましょう。誰でも仏になれます。


◆【真理のことば】ダンマパダ
「法句経」の名でしられる「真理のことば」(ダンマパダ)はお釈迦さまの教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針が風格ある簡潔な句に表されている。

1. ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

2.ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。

5.実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

76.(おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。──隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。

77 .(他人を)訓戒せよ。教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。そうすれば、その人は善人に愛され、悪人から疎まれる。

130 .すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。

133 .荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。

134 .こわれた鐘のように、声をあらげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。

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◆法話「人を仏と見る心を」

仏さまは、私たちが住んでいるこの世の中を、浄らかで明るい住みよい社会にしようと法を説かれましたが、今はその教えとは全く逆の方向に進んでいます。

例えば、政治は、住みよく明るい社会を実現するという大目標から離れ、他の党に勝つための党利党略に明け暮れ、国民不在で政治不信を招いています。社会の中でも、相互不信の姿が見え隠れし、そのことが、青少年にも影響を及ぼし「いじめ」や「ナイフ」による殺傷事件多発の要因になっています。

法華経常不軽菩薩品には、「我深く汝等を敬う…汝等皆菩薩の道を行じて當に作仏することを得べし」と説かれ、日蓮聖人も仏の教えを受けて「不軽菩薩は所見の人において仏身をみる」と述べておられます。私たち法華経を信じる者は、「人を仏と見る心を」もって、相互に合掌礼拝運動を実践し、仏さまが願われた明るく浄い家庭や社会に変え
ていきまし
ょう。


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◆お題目写経は、3月末日まで

真の功徳を頂くための行、
写経は、精神を集中させてお経を書き写すことにより、心を落ち着かせ、あわただしい日常生活に安らぎの一時をもたらす。またなによりも、無心で臨むことにより、お経の功徳を得ることができる。

お釈迦さまは、法華経の一句一偈でも受持し、唱えることで、その身そのままで仏になり、この世はそのまま浄土になると説かれている。そして、苦しみ悩む衆生を法華経の功徳によって救おうと、命をかけて実践された日蓮聖人は、南無妙法蓮華経のお題目を唱えれば、それは法華経の全文を読誦するのと同じことと説かれた。

お題目を一度写経することは、法華経一部を写経する功徳につながる。またお題目を口にしながら写経を行うことによって、私たちは法華経・お題目を受持(受け持つ)、読(経文を読む)、誦(暗唱する)、解説(解釈して説く)することも伴った、法華経・お題目の修行を自然に続けられる。

写経を行うことによって心穏やかに、寛容の精神を培い、平穏に家庭生活、そして社会生活がおくれれば、それはすばらしい功徳である。写経はそのような本当の功徳をいただくための行である。

お題目写経は、3月末日を持って終了します。お書きになられた方は、それまでに妙光寺まで届けて下さい。立教開宗の聖地清澄寺にお送りします。

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◆大日蓮展
 日蓮聖人を祖とする日蓮宗は,禅宗,浄土真宗,時宗などと同じく,鎌倉時代に興った仏教の宗派の一つです。その布教のスタイルが,他宗派を激しく批判するものであったため,一門は鎌倉幕府などからの激しい弾圧にさらされますが,ついに屈することはありませんでした。弘安5年(1282),聖人は61歳の波乱に満ちた生涯を終えますが,その信仰は高弟たちによって広められ,今日の隆盛をみるにいたります。

今回の展覧会は,その日蓮宗のお寺に伝わる聖人ゆかりの品々,法華信仰にまつわる美術品,さらには,宗門に帰依(きえ)した多くの芸術家たちの作品を取り上げ,一堂に展示しようとするものです。教科書でおなじみの「立正安国論」(法華経寺 国宝)や,聖人の姿を忠実に写したとされる妙本寺の「日蓮聖人坐像」,今回,新たに発見された長谷川等伯筆の仏画(鬼子母神十羅刹女像)など,これまで門外不出とされた品々が数多く展示されます。

日蓮聖人が法華経信仰の弘通(ぐづう=布教)を始めてから七五〇年を経た今,その歴史と文化をたどるこの展覧会を,ぜひ多くの方々に鑑賞していただきたいと思います。
【名 称】立教開宗七五〇年記念大日蓮展
【会期】 1月15日(水)〜2月23日(日)
【会場】 東京国立博物館平成館(上野公園)
【開館時間】午前9時30分〜午後5時
【休館日】 毎週月曜日
【観覧料】 一般一三〇〇円
高校・大学生九〇〇円

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◆お題目に生きた人々
 今号より、法華経信仰の方々をご紹介していきます。


幸田露伴(1867〜1947)
東京都生まれ。小説家・随筆家。電信技師として北海道で勤めましたが、明治二十年、職を辞し、帰京して文学の道を志しました。そして同二十二年、雑誌「花の都」に「露団々」「風流仏」を書いて一躍注目されることになります。なお「風流仏」は、その作品構成や主人公の心の推移が、方便品の十如是によって展開され、仏教的慈愛が説かれた作品でした。また同二十四年には、仏法と仏法帰依の衆生を守護する夜叉を登場させ、人間は我欲を捨てて生きるべきことを説いた名作「五重塔」など東洋精神・仏教精神を基盤に置いた作品を多く著しました。特に「寿量讃」「因其心恋慕乃出為説法」、評伝「日蓮聖人」等、法華経や日蓮聖人に関するものが多く、『高祖の降誕』では「高祖の<英霊俊偉の気>は今に存し未来に及んでいるのであるから、高祖の降誕は、過去をしのんで喜ぶのみならず、現在未来にわたって喜ぶべきことである」と語り、讃嘆の思いをこめています。その他、史伝「平将門」「頼朝」等を著し、広い分野で業績を残し、八十年の生涯を閉じました。墓は池上本門寺にあります。

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◆月例御施餓鬼祈祷会毎月一日午後一時

◆寒修行 一月二十日〜二月三日
      午後六時より二時間
心と体を鍛える修行です。ご参加下さい

◆星祭りお守りの申込〆切二月一日
星祭りの祈願を受けて、一年中安心して明るい幸福な生活を送りましょう。

◆仏教守護神大祭
特別大祈祷会
日時 二月十一日 午後一時
修法師をお招きして、
大祈祷会を行います。
申込〆切二月一日


  

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妙光寺新聞  平成15年8月1日 第77号


日蓮聖人「異体同心事」 
自らの心に迷い
がある時には
何をやってもう
まくいかない。
自らが光になる
ほど自らの心が
働いた時、事は
必ず成就する。
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南無妙法蓮華経とお題目を唱えましょう
★ お題目を唱えると、お釈迦さまは救いの手を差しのべられます。
★ お題目は三世(過去、現在、未来)を救います。ご先祖様も子孫も安心です。
★ お題目を唱えて、悟りをめざし、行いを正しましょう。誰でも仏になれます。
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◆【法句経】より
お釈迦さまの教えを集めたも
法句経 182
「人の生をうくるは難く やがて死すべきものの 今いのちあるは有難し 正法を耳にするは難く 諸仏の世に出る事も有難し」
   
人間の生を受けることはむずかしいことで、まして今生きているということは得難い事で尊いことである、と説かれています。苦に満ちた私たちの生も一面では得ることが難しくて尊い大切なものである。ましてや今現在生きていることはそれ自体が得ることが難しくて尊い大切なものであるということでしょう。正法(ダンマ 真理)を聞く事、諸仏の世に出る事も得る事が難しくて尊いことである、と説かれています。私たちはこの世に人間としての生をうけ、今生きています。そして仏法に出会いました。それはその事自体が得ることが難しいこととされています。

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◆ 法話「盂蘭盆会」お盆のいわれ
蛾鬼道に堕ちた母を救うために
    お施餓鬼を行った目連尊者の話
 釈尊の弟子に、たいへんすぐれた神通力をもつ目連尊者という人がいました。非常に親思いであった目連尊者は、あるときその神通力をもって、なくなった母が死後の世界でどのように過しているのかを知ろうとした。
 まず仏界とよばれる仏さまの世界を見まわしたところ、そこでは母の姿を発見できなかったので、つぎの菩薩界に目を転じた。が、そこにも母の姿はなかった。じゅんじゅんに下の世界を見ていくと、まさかと思った餓鬼の世界で、見るにたえない姿――腹は太鼓のようにふくれているが、のどは糸のように細くからだは骨と皮ばかりで、飲むものも飲めず、食うものも食えずに苦しんでいる母を発見した。
 ぴっくりした日連尊者は、いそいで清らかな水とおいしい食物とを、神通力をもって母のもとへとどけたが、母がそれに手をふれるやいなや、水も食物も焔となってしまい、なんどくりかえしても母に与えることができなかった。非常に困った目連尊者が、このようすを釈尊にかたり、母を救う道を問うと、「お事えの母は、たいへん物おしみして、むさぽり求めた罪によって餓鬼道へ堕ちたのだから、おまえの神通力でさえも救うことができないのだ。しかし、来る七月十五日はお坊さんたちの修業が終る日であるから、その日にお坊さんがたに飲食を供養しなさい。そうすればそのくどくによって、おまえの母の罪も消え、餓鬼道の苦しみからのがれることができるであろう」と教えられた。その通り実行して、目連尊者が母の苦しみを救ったことはもちろんでした。
 この目連尊者の孝道の至情、ひいては報恩感謝の灯は、いく万・いく億の人びとの胸に点ぜられ、七月十五日は父母報恩の日、先祖追孝の日、つまりお盆としてうけつがれてきたのです。
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◆ ライアン君の井戸
カナダ・オンタリオ州に住むヘリルジャック一家の次男、ライアン君は正義感の強い少年だ。それは、警察官である父親マークの「困った人がいたら、助けるんだよ。人はお互い助け合って生きていくものだからだよ」という言葉をいつも聞いていたからだ。6歳だったこの少年は、大人でもできないようなある大きな奇蹟を生み出した。
一九九八年、ライアンは小学校の授業で、アフリカの一部の地域ではカナダのように水道施設が整っていないために、やせた土地で清潔ではない水を飲んで多くの人が病気になって亡くなっているという話を聞き、愕然とした。
井戸を掘る資金すらないので、人々は泥水や汚染された水を飲むしかないという。感受性の強いライアンはその事実にショックを受け、アフリカで井戸を掘るにはいくらかかるのかを先生に質問した。先生は、70カナダドル(約6000円)はかかると答えた。
ライアンは家に帰ると、多くの人が水のせいで亡くなっているアフリカで井戸を作るための費用70ドルを出して欲しいと、早速母親のスーザンに頼んだ。スーザンはその時6歳の息子の言うことを本気にしていなかったので、「70ドルは大金よ。うちには余裕はないわ」とライアンにとってはがっかりするような返事を返した。
それでも彼はあきらめず、その日の夕食時にマークにも頼んでみた。しかし父親も、70ドルは大金だからすぐに手に入れることはできないと話した。そして、ある提案をした。ライアンが家の手伝いをし、自分でお金を稼ぐというものだった。部屋の掃除機がけ、庭の掃除、窓ふきなどをして、一つの手伝いにつき2ドルを手にすることになった。
多くの困っているアフリカの人のために井戸を作りたいという目標のため、ライアンは毎日のように手伝いをし、なんと4ヶ月後には70ドルを稼いだのだ。

 スーザンは息子が本当に70ドルを稼いだことを驚きながらも、アフリカに井戸を作るためにはどこにお金を持っていけば良いのかわからず、国際開発組織で働いていた友人に相談をした。そこでウォーター・カンという非営利団体があることを聞き、70ドルを寄付するためにライアンと共にウォーター・カン事務所を訪れた。
 事務局員はライアンの気持ちを有り難く受け取った。ライアンはこれでアフリカの人たちは綺麗な水が飲めるんだね、と言った。すると、事務局員は「ライアンの気持ちは本当に有り難いけど、井戸を掘るにはもっとお金がかかってしまうのよ」と話した。
 学校で聞いた情報は正確ではなかった。70ドルでは井戸のポンプ代にしかならず、実際には2000ドルほどが必要だった。   現実を知って落ち込んだライアンを、両親はよく頑張ったと褒めた。しかし、ライアンは「僕は井戸を作るために、もっと手伝いを頑張るよ」と再びお金を貯める決意をしたのだ。彼は諦めなかった。
 それから間もなく、嬉しい出来事があった。ウォーター・カンの機関誌に、若干6歳の男の子がアフリカに井戸を作るために、お小遣いで貯めた70ドルを募金したということが大きく掲載されたのだ。
 機関誌をきっかけに地元の新聞もライアンのことを取り上げ、それを知った近隣の小学校に招かれてライアンはその思いを語った。彼の活動は共感を呼び、多くの人々が募金を寄せるようになったのだ。
 10ヶ月後、多くの人々からの支援も受けてついに目標の2000ドルが集まった。ウォーター・カンに送られたその募金によって、ウガンダ共和国北部にあるアンゴラ小学校の近くにライアンの井戸は掘られることになった。ライアンは小学校の近くに井戸を作れば、子供たちが綺麗な水を飲めると考えたのだ。
 その周辺は政治的に不安定な場所で援助が届きにくく、人々は5kmも離れた湿地帯から泥水を汲んできて利用しており、寄生虫や細菌などで命を落とす子供も多かった。

 ライアンは、カナダでアフリカなどの発展途上国を支援するCPAR(カナダ救援医師団)という団体の会議に招待され、その功績が讃えられた。そこでライアンは井戸はいつ完成するのかを質問した。すると、理事達は 「実はまだ見通しがたっていないんです」。井戸を作るには多くの人手が必要で、道具も十分ではないウガンダではほとんどが人件費となってしまい、完成するには何十日かかるかわからないというのだ。

 ただ、ドリルがあればもっと早く完成するのだという言葉に、ライアンはドリルはいくらなのかを聞いた。2万5千ドルという答えだった。2000ドルでも大金だったのに、ライアンにとっては途方もない額だった。ところがこの時もライアンは諦めなかった。
 「僕がドリルのお金も集めます」。
 息子のこの懸命な姿に、両親も何かをせずにはいられなかった。ライアンが新たな目標に向かってお手伝いを続ける中、スーザンは知人のジャーナリストに相談をした。すると話に感動して有力紙、「オタワシチズン」紙にライアンのプロジェクトを記事にしたのだ。

 記事が掲載された翌日、ライアンはオタワテレビ局から取材を申し込まれ、それを機に他のマスコミも取り上げ始めた。彼の活動は瞬く間にカナダ中の知るところとなり、多くの小学生達もライアンと同じようにお小遣いを募金することとなった。
 そして、多くの人々の心を動かしたライアンの募金は1年もしないうちに目標額を達成し、最終的には4万5千ドルもの大金が集まった。募金によりついにドリルが購入され、アンゴラ小学校の近くにはライアンの名前が刻まれた井戸が掘られたのである。

 大いなる目標を達成したライアンのもとに、アンゴラ小学校に通う一人の少年、ジミーから手紙が届いた。ライアンの井戸から毎日綺麗な水を飲んでいると書かれていた。それからライアンはジミーと文通を始めた。そして新たな夢として、一度でいいから井戸が見たい、ジミーやウガンダの人々に会ってみたいと思うようになった。しかし、その距離はあまりに遠かった。隣人のペインター夫妻が、ライアンが懸命にお手伝いをする姿をずっと見ており、なんとウガンダ行きの切符をプレゼントとしてくれた。ライアンは飛び上がって喜んだ。
 2000年夏、ライアンは念願のアフリカの地に両親と共に降り立った。アンゴラ小学校に近づくと、そこには沿道に5000人以上の子供達が拍手でライアンを迎える姿があった。
 無事ジミーとの対面も果たし、ライアンは「ライアンの井戸」の水を飲んだ。この井戸は綺麗な水と人々に健康をもたらしただけでなく、地球の裏側に大きな友情も運んだ。
 ライアンの井戸が完成してから3年。購入されたドリルによって周辺にはすでに30個以上の井戸が完成している。
 ライアンの今の夢は、弁護士になりたいと勉強に励むジミーの応援をすること。
(フジTV「アンビリバボー」ホームページより趣意)
すばらしい少年ですね。このように他の人のために一生懸命生きる生き方を菩薩行といいます。法華経の信仰で仏様が説かれた生き方です。
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◆お題目写経は、来年3月末日まで
奉納が受付されることになりました。
写経は、真の功徳を頂くための行。

お釈迦さまは、法華経の一句一偈でも受持し、唱えることで、その身そのままで仏になり、この世はそのまま浄土になると説かれている。そして、苦しみ悩む衆生を法華経の功徳によって救おうと、命をかけて実践された日蓮聖人は、南無妙法蓮華経のお題目を唱えれば、それは法華経の全文を読誦するのと同じことと説かれた。

お題目を一度写経することは、法華経一部を写経する功徳につながる。またお題目を口にしながら写経を行うことによって、私たちは法華経・お題目を受持(受け持つ)、読(経文を読む)、誦(暗唱する)、解説(解釈して説く)することも伴った、法華経・お題目の修行を自然に続けられる。
写経を行うことによって心穏やかに、寛容の精神を培い、平穏に家庭生活、そして社会生活がおくれれば、それはすばらしい功徳である。写経はそのような本当の功徳をいただくための行である。

お題目写経は、3月末日を持って終了します。お書きになられた方は、それまでに妙光寺まで届けて下さい。立教開宗の聖地清澄寺にお送りします。
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◆お題目に生きた人々
 前号より、法華経信仰の方々をご紹介しています。
土光敏夫 (1896?1988)岡山県生まれ。元石川島播磨重工業・東芝会長、経団連会長・臨時行政調査会会長
 熱心な法華経の信者であった父母の影響を受けて、幼少より朝晩二回の読経を日課とし、常に感謝と反省をみ仏に捧げました。そして「まことに日新たに、また日々を新たに、また日に新たなり」という言葉を好んで、一日を有意義に過ごすことをモットーとし、生活は質素で食事は一汁一菜。メザシが唯一のごちそうであったことは、昭和五十七年、NHKテレビで放映されました。また、「次の時代の国民を養成するのは母親の責任であり、そのための女子教育をしっかりやらなければならない」と語った母登美は、昭和十七年、七十歳の時、横浜市鶴見区に学校法人『橘学園』を創立。当時、信仰上、縁の深かった立正大学教授加藤文輝を初代校長に迎えました。その創立精神は法華経の心にあり、校内の石碑には「正しきものは強くあれ」と刻まれています。現在、女子高等部・中等部ならびに幼稚園が開設され、お互いを尊重しつつ、より豊かな人間に育つことを目標に教育を行っています。土光家の墓は、鎌倉の安国論寺にあります。
◆月例お施餓鬼会 毎月一日 妙光寺本堂
午後 一   時 受付
   一時二○分 お施餓鬼法要
   三 時 半 法楽加持
   四   時 お茶
 お守り交換・易断
お施餓鬼は、災いを消し、障りや祟りを転じて、寿命を延ばし、福を招くという仏教の一大秘法です。どなたでもご参加できます。お誘い合わせご出席下さい。

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◆第42回信濃夏期仏教少年少女学園
第42回信濃夏期仏教少年少女学園が、7月29日~30日、飯山市北竜湖山荘で開催されました。16名の小中学生が参加し、当山からは、宮下奈枝さんが参加しました。仏教のお話・お経練習・北竜湖散策、プレゼント交換・花火大会など楽しみました。


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妙光寺新聞 平成16年11月23日 第79号


 足りないところがある

絵を描けば誰よりも上手だが
算数はからきしできない子どもがある

計画は人一倍うまいが
実行にはとんと駄目の人もある

針仕事はなかなか熱心だが
料理にはうとい奥さんもある

人間である限り
完全ではあり得ない

自分を振り返って見よ
他人を避難するどころではない

他人の長所を見出し
自分の短所をおぎなうことだ

そうすれば 人を尊敬することを知り
自分を高めることができる
(身延山前法主 岩間日勇猊下)

◆お釈迦さまのお言葉 法句経63

自分をおろか(無知)で
あると思う人は、それを
知っている。ゆえにかし
こい人であると説かれて
います。
また、おろかであるのに
自分は賢いと思う人は真におろかであるとと説かれています。

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南無妙法蓮華経とお題目を唱えましょう
★ お題目を唱えると、お釈迦さまは救いの手を差しのべられます。
★ お題目は三世(過去、現在、未来)を救います。ご先祖様も子孫も安心です。
★ お題目を唱えて、悟りをめざし、行いを正しましょう。誰でも仏になれます。
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◆日蓮聖人の身延山入山と池上

 佐渡流罪を許された日蓮聖人は一二七四(文永)年3月26日、いったん鎌倉へと戻りますが、同年5月17日には甲斐の国(現在の山梨県)波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)の招きにより身延山へご入山されました。そして、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵にお住まいになり、以来足かけ9年の永きにわたりこの身延の山を一歩も出ることなく、法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始されました。この間、波乱の人生を振り返りながら「時」を知ることの大切さを説いた「撰時抄」(一二七五年)や、亡き旧師道善房を偲んで「知恩報恩」の大切さを述べられた「報恩抄」(一二七六年)などを著述されています。

 一二八二(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り、常陸の国(現在の茨城県)に向かいましたが、同年10月13日、途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区 池上本門寺)にてその波瀾に満ちた61年の生涯を閉じられました。このとき地震が起こり、季節はずれの桜が咲いたといいます。
 以来、日蓮宗の各寺院では、このご命日に、報恩の御会式法要を営みます。
日蓮聖人の生涯は
「法華経」の弘通に、
まさに命を賭したも
のでした。日蓮聖人
の教えは時間を越え
空間を越えて、今日まで数多くの人々に受け継がれています。事実、身延山久遠寺や池上本門寺においては、日蓮聖人のご入滅以来七二三年、法灯綿々と絶えることなく、広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。

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日蓮聖人のお言葉
「蓮華と申す花は、かかるいみじき徳ある花にて候へば、仏、妙法に譬え給へり」(妙心尼御前御返事)
このお言葉は、建治元年(一二七五)8月16日、日蓮聖人が54歳の時、夫が病気の妙心尼に、お題目こそ末法の良薬なのだから、しっかり信 仰をするようにと指導された「妙心尼御前御返事」の一節です。

蓮華のように妙なる法である「妙法蓮華経」とは、お釈迦さまが末法の私たちを救うために説かれた良薬です。その良薬を造られたお釈迦さまは私たちにとっての大名医ということになります。

では、なぜお釈迦さまは多くの花の中から蓮華を選ばれたのでしょうか。昔、インドに波瑠璃王という悪王がおり、お釈迦様に仕える500人の女性を殺害しました。しかし、その女性の体に蓮華を触れたら、生き返ったというのです。蓮華には、大賀蓮のように何千年も生きる生命力や泥から生まれて泥に染まらぬ清浄性、花と実が同時に成るといった、他の花には無い特殊な力(いみじき徳)があることから、お釈迦さまは妙法の譬えにされたのです。

お釈迦さまの深いお心と意味が込められたお題目、南無妙法蓮華経を私たちはしっかりお唱えしたいものです。
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「子供は仏様からの預かりもの」

最近の子供への虐待事件の多さを見聞きすると、憤りを感じるのは私だけではないと思います。ある本に、「子供は、親が作る物ではないし、天からの授かりものでもない、子供は仏様からの預かりもの」と、書かれていました。

確かに、そう思います。子供は親が作った物、天からの授かりもの、と考えると、子供は親の所有物と思いがちです。でも、「仏様が、この子は他の夫婦ではなく、あなたがた夫婦なら必ず幸せに育ててくれる、だからあなたがた夫婦に預けたのですよ」と、考えれば、そう、むやみやたらに子供を殴れません。

子供は無抵抗です。その子供を守ってやれるのは親です。その親が子供に手を上げて、子供を守れるのでしょうか。以前、ある先輩上人が障害を持った親に次のような話をしたと言いました。「あなたが亡くなると、仏様の前に呼ばれて『私が預けた子供はどうしましたか』と聞かれますよ。その時、『この子を精一杯、育てました』と、胸を張って答えられるよう、その子供と共に明るく生きてください。」

子育てが辛いと思った時、苦しいと思ったとき、子供は仏様からの預かりもの、と思い直してみてはどうでしょうか。大人の眼からではなく、仏様の眼から、子供を見つめて直してはどうでしょうか。
きっと子供を仏様の眼に適うよう、育てようと思うに違いありません。
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◆月例御施餓鬼祈祷会毎月一日午後一時
 ご先祖の供養のため、ご自分の運勢を開くためご参詣下さい。どなたでもご参加できます。
◆ご協力をお願いします
災害義捐金受付
◆日蓮宗のホームページでは、日蓮聖人の教えや、日蓮宗の活動が、映像と写真で紹介されています。是非ご覧下さい。
 (http://dendo.d-nichiren.jp/)

◆身延山久遠寺のホームページでは、年間行事を、映像で見ることができます。法話を聞くことができます。こちらもインターネットでお訪ねになってみて下さい。
(http://www.kuonji.jp/main001.htm)

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