生 と 死   2

臨終7  臨終は歩んだ人生の集大成
健康の時こそ死について語り合い 動じることのない安らぎの最期を 2009.9.20

8月末の3日間、京都に於いて「仏教看護・ビハーラ学会」の年次大会があり会員の一人として参加しました。仏教系の病院、ビハーラ(ホスピス)、介護施設の関係者、看護学生を中心に多くの僧尼が集い、研究発表や活動報告に学びを重ねました。

シンポジウム「映画『おくりびと』を観て我々は何を感じ考えたか」には、関心を持って臨みました。がんセンター医師、緩和ケア病棟看護師、ビハーラ活動の住職、地方(愛媛)の市民、在日の外国人(チェコ)大学生が終末期の医療などについて意見を述べ、会場からも発言が相次ぎました。その一部を列記してみます。

「最期に傍らにいてほしい人は医療者ではありません。またふだん会ってもいない縁者が取り囲む様子は異常に見えます。臨終に際し本当に傍にいて欲しい人は誰でしょうか」 「故人(患者)のがんばりを認め遺族(家族)をねぎらい、心を込めてエンゼルメークをします。家族への配慮はグリーフ(死別の悲嘆)にも影響します。四十九日の頃にはスタッフが手紙を出し、多くの返信が寄せられています」

「苦しみとは思い通りにならないこと。財産、家族が臨終の支障となり愛執・妄想にとらわれるケースがあります。常日頃より生・老・病から臨終に至るまで一貫した信仰による安心を持ちたいと願うばかりです」

「地方の慣行では生者と死者が共存し、死によって新たな死者との関係を作ってきました。しかし生者中心となり死者への思いが希薄になっています」

「チェコでは多くが葬儀抜きで火葬され、家族が墓へ納めています。社会主義体制にもよりますが、現世中心主義では送り先がわからなくなっています」

また次の指摘は重要な点と考えます。「映画は送りっぱなしで行き先がわかりません。宗教を持たない者は癒しを求めます。行き先がわからなくては救いになりません」と。死への不安、恐れは、死んだらどうなるのか、どこへ行くのかわからないからでしょう。日本人は仏教やこの国の風土に培われた、来世や浄土への眼差しをもっていたはずです。

ホスピスに「生と死を考える会」の仲間(女性)を見舞いました。それは春の陽光がふりそそぐ明るく開けた丘陵にありました。「まだ生きています。がんばっています」の声に迎えられ、改めてホスピスとは死にゆく場所ではない、最期まで生きる所なのだと実感しました。握った手の温もりを感じながら時が流れ、とぎれとぎれの会話はやがて死に行く先の話題に移りました。私は確信を持って「待っててね、また会えるよ」と語りかけました。

私達の体には死へのプログラムが組み込まれており、人は自分の力で死んでゆくのだと云います。それは人生最後の大仕事であり、試練というべきものです。臨終はその人が歩んだ人生の集大成。医療者や家族など周囲の支えによって臨終の光景は様々な展開を見せます。また支える側にしっかりとした死生観があれば、動じることなく臨終に向き合えるものです。人はそれぞれの臨終を見せ、いちがいに善し悪しを決めかねる側面があります。お互いに固有の業因(苦楽の結果を招く原因となる善悪の行為)を背負って生きています。

日蓮聖人の教え、法華信仰にもとづくところ、送り送られ、導かれる先は日蓮聖人も待たれる釈尊の霊山浄土です。ただし「道を行じ、道を行ぜざるを知って」と自我偈に示されています。

日蓮聖人はお題目によって臨終正念を得よと教えられ、さらに「臨終悪くば法華経の名をりなん(西山殿後家尼御前御返事)」と述べ、法華経に傷をつけてはならないと励ましています。今生の完結(臨終)に向かってひたすら手を合わすほかはありません。

身近な者が死ぬとは思いたくないのは人情でしょう。しかし避けることができない厳然とした事実であり、辛い定めです。

シンポジウムの会場で「僧侶の役割は死にゆく者が家族や、共々に仏法に出会える縁となること。僧侶の出番が無くなってからでは遅いのでは」という発言がありました。病院やビハーラ(ホスピス)に常駐する聖職者の活動を聞いて尊敬の念を抱きます。健康な時、死について語り合うことを避け、いざという時、心なごむ語らいはできるものではありません。死の受容があって会話は深まり安らぎをもたらします。




臨終8  安心は平素の信行の積み重ね
   どんな臨終にも法華経の徳
           日蓮宗新聞2009.10.20 藤塚上人の記事より

新聞歌壇に次の一首を見て、眼が動かなくなりました。
 「死ぬなんて初めてだから面白い」鶴見和子と笑う弟  近藤こずえ

永田和宏氏は「姉の言葉も常人では言えないが、笑って応じる弟(俊輔氏)もただ者ではない。凄い知の姉弟」と選評を記しています。『鶴見和子病床日誌』(妹の内山章子・著)にある死の6日前の発言。弟は著名な哲学者です。未知の体験に期待を抱くことは誰にもあります。しかし、こと死に関しては不安におののく方が先でしょう。

入院中の父の傍に、長女(姉)と長男(弟)そしてその母が寄り添っていました。弟が「お父さん、今日は大切な話をしたい」と切り出し、「お父さん、死んでいく覚悟はできている?」とさりげなく聞きました。

しばらくして父は「できているようで、できていないような」と答えました。そして「何もしなくて良いから皆が傍にいて欲しい、眠るように逝ける気がする」と返してきました。さらに「会っておきたい人はいないか」と尋ねると「家族と話せるだけ話したい、それが一番いい」と応えました。姉と弟は仏教徒。死後について書かれた本も読んでいました。弟はあたかも見てきたようにその一部を話し始めました。「いよいよあちらへへ行くようになると、意識というか魂が体から出たり入ったりして、向こうへ行く練習をするらしいよ。また、お父さんがベットに横たわっている自分の姿を眺めるかもしれない。ひっょとして家に帰っていて、親戚が集まり、自分の写真が祭壇にある見るかもしれない。その時は死んだと自覚して、次の世界へ行ってほしい」とまで話しました。父は「ほうか、ほうか」と聞いていました。

後日、姉は「80を越えていたのでこのような会話が自然に出来たのだと思います。弟は心残りはないか、望むことは何かと尋ね、その最期の願いを聞き入れ、父は父なりに看取られる心得を持てたと思います。そして父の望み通りの臨終を迎えることができました」と語りました。

映画「おくりびと」の1シーンを想起します。それは銭湯の女主人が急逝、火葬場の炉の前に、常連客であった火夫が彼女の息子に述懐する場面です。
 「つくづくこの仕事を続けてきて思うことは、死は門だな。死ぬっていうことは、終わりっていうことでなく、そこを通り抜けて、次に向かうまさに門です。私は門番として、多くの人を送ってきた。いってらっしゃい、また会おうと言いながら」。原作の『納棺夫日記』を著した青木新門氏が自らの死生観を彼の口を通して言わしめています。

安心アンジンは「知」によって得るのではありません。「信」の一念によって信得するのです。ここに凡愚の私達に救いの門が開かれています。「仏教の門を以て三界の苦、怖畏の険道を出て、涅槃の楽を得る」(比喩品)と。

お題目を唱えていた農家のお婆さまが、何ら恐れることなく「さようならだよ」と言いながら従容として死に赴いていく、またお爺さまが「お前達は気をしっかり持て」と家族を力づけ、毅然とした姿で瞑目したという話も聞きます。何とも羨ましい臨終です。 信行会で臨終正念を説く私自身が、どのような臨終を見せることになるのでしょうか。お題目どころか、前後不覚で生死もわからぬ臨終かもしれません。しかし、それでもいいのです。

日蓮聖人の「法華経を信ずる者は設ひ臨終の時、心に仏を念ぜず、口に経を誦せず、道場に入らざれども、心なくして法界を照らし、声無くして一切経を誦じ、巻軸を取らずして、法華経八巻をにぎる徳これあり」(『守護国家論』)というお言葉に安心を覚えます。ただし、平素の信行の積み重ねによってみの得られる果報です。お題目を唱えようではありませんか。  



臨終9  臨終の心構え
先人や書の言葉に学ぶ   
           日蓮宗新聞2009.11.20 藤塚上人の記事より

高齢社会、生と死、ターミナル・ケア等々、いのちの問題に関心が寄せられる時代に注目したい一冊があります。心性院日遠上人(1572-1642)の著と伝えられる「千代見草」です。身延山久遠寺の中興の三師(日重・日乾・日遠)の一人として江戸初期における日蓮宗を代表する碩学です。また、七面山に女人として初めて登詣を果たした養珠院お万の方(徳川家康の側室)の師として知られています。「千代見草」は『日本思想体系』(岩波書店)の『続・日本仏教の思想 五』、「近代仏教の思想」に収録されており、それは宝永7年(1710)に刊行された版本に基づくものです。ただ、文献学の研究によれば、日遠聖人の頃より幾分か時代が下がって、日遠の名に仮託して著述されたという説があります。

いずれにしても近世日蓮宗徒のあるべき姿、臨終に向けた信行のあり方が示されており、現代の私達にとっても、ビハーラ活動を実践する上でのガイドライン(指針)となりうるものです。

その序文の冒頭部分は「ものじ葉を、風にまかせて見るよりも、はかなき命をもちながら、いつも夏山の心地して、あかとしらしぬるは、わればかかくや」―紅葉の葉が風にまかせて散るよりもはかない命を持ちながら、いつも青々と繁った夏山のような心地で毎日を暮らしているのは私だけではないでしょう―という書き出しに始まります。

西欧には「メメント・モリ」の警句がありますが、「死を想え「死を忘れるな」という意味で、仏教語の「無常」に相当するものです。この「千代見草」は一貫して人生の無常を説き、経論や日蓮聖人の御書を随所にちりばめ、お題目受持による臨終正念の意義や方法、また看病、遺体の処理、葬儀や忌日に及ぶその心構えについて教示しています。臨終の大事について幾つかを紹介いたします。

日常の心掛けとして、その第一に臨終正念の祈りをあげています。仏法僧の三宝、諸天善神に向かい他事を思わず、ひたすらに法華経を読み、お題目を唱え「兼知死期 得善知識 臨終正念 証大菩提」と願いて祈ること。予め死期を知り、臨終を正念に導く善き僧にめぐりあい、臨終を正念に終えて、菩提(悟りの境地)に至る祈りをすすめています。

第二に、我が臨終は今日この日、唯今なりと思い、ひたすらお題目を唱えなさい。「ねてもさめても、心に思ひならはしたらば、三宝の擁護とよりあひて、正念に本懐をとぐべき也」。擁護とは、抱え助け、守られることです。そして臨終は今この時なりと心得れば、貪りや怒りの心が生ずることはないと。今日が人生最後の日と考えたとき、見渡す風景や家族はどのように目に映えるでしょうか。

さらに兼好法師の言葉を引いて、死後に多くのものを残すべきではない、朝夕の暮らしになくてはならないものだけあればよしとしています。「シンプルライフ」「手放すこと」「とらわれからの解放」「身辺の整理」等に思いが及びます。

この世で手にする物質的な物は何一つ彼の世に持ち込むことはできません。命終に臨めば世俗の価値観は一変します。財産等についても「存命のうちに、譲ることのならむ人は早く譲り状を書くべし」「何にても、心にかかる事のなきように、常に身をとりおくべし」と身辺の物事にきまりをつけておくべきと記しています。

私達は「大よう(おおよそ)人ごとに年よらねば死なぬ物ぞと思う也」の気持ちで暮らしていないでしょうか。「すみやかにすべく事をゆるくする誤りとは、臨終の用意なき事也」。に頂門の一針です。これらは近年しきりに提唱されるデス・エディケーション(死への準備教育)そのものです。お題目を唱える者はぜひ心懸け、実践しておきたい心得ではないでしょうか。



臨終10  その日が近づいたならば
           日蓮宗新聞2009.12.20 藤塚上人の記事より

前回に続いて「千代見草」(伝・心性院日遠上人著=身延山22世)に目を向けてみます。「臨終の心得」として一項を設け、次のように記されています。

死期が近いと知れば、沐浴して身を浄め新しい着物を着せます。ただし、このようにできれば結構ですが、できなくても差し障りはありません。まずご本尊を掛け、明かりを灯し、香を焚き、しばし鈴をならし心を落ち着けます。そして「大勇猛の信心にて、題目をとなふべき也。是肝心の事也」と、お題目を唱えることが最も大切であるとしています。

信心を持っていても、臨終が近くなれば10人のうち9人までが、気も弱り、頼りとするものもなく、諸々の他事に心を引かれてしまうもの。お題目をすすめられても顔を背けてしまい、看病人が気が弱ると思い、すすめることを止めてしまえば、菩提心も薄くなり、妄想も強まり、空しく命が果ててしまい、誠に残念なことになります。

臨終近くになればお題目を唱えよう、唱えたいと思っていても、病苦、死苦にさえぎられて、つい忘れてしまうものです。看病の人はそばにいてお題目をすすめて、成仏の証を手にしてください。死期は思いがけず突然に訪れるもの。身近な人達に「死が急に迫ったならば、お題目をすすめて下さい」と頼んでおくべきです。「誰によらず、すすむ人こそ、臨終の知識なれ」としています。平素から誰でもよい、周囲の人に「私がもしもの時はお題目を唱えて下さい、お題目をすすめて欲しい」と依頼しておきなさいと。ここで言う知識とは、正しい道を教え示し、導いてくれる人(指導者・よき友人)のことであり、善知識とも言います。

日蓮聖人は「夫れ木をうへ候には、大風ふき候へども、つよきすけ(扶助)をかひぬればうたず。本より生て候木なれども、根の弱きはたうれぬ。−中略−されば仏になる道は善知識にはすぎず」(三三蔵祈雨事)と示されています。臨終の善知識とはお題目をすすめる人、すすめて下さる人なのです。

次に、臨終に何を念じ、何を唱えたらよいのか。この問いに対し、事の善悪をわきまえる事ができない状態になれば、いずれも皆、大勇猛の信心をもってお題目を唱える以外にありませんと。南無妙法蓮華経には法力、仏力、信力という「三力」の功徳が備わっています。三力とは、お題目には三世十方の諸の仏の功徳が納まっていること(法力)、釈迦如来は妙法受持の者に仏身を成就させようという大願を持っていること(仏力)、法華経の経力を疑わずに仏になるという大信心を起こすこと(信力)をいい、お題目を唱えることの一事に、あらゆる修行が成就すると記されています。

さらに日蓮聖人の『法華初心成仏鈔』の「たとえば籠の中の鳥なけば、空とぶ鳥の呼ばれて集まるがごとし。空とぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法を呼び奉れば、我が身の仏性も呼ばれて必ず顕はれ給ふ」を示して、誠に尊い文章であり、繰り返し拝読すべきものとしています。臨終の時、心中の妙法である鳥が飛びだして、お題目をさえずれば、諸仏、諸菩薩が来集して、籠の鳥を連れ伴って、寂光浄土の虚空を飛翔していくと述べています。

このように「千代見草」では法力、仏力、信力がそなわるお題目の功徳、その素晴らしさを繰り返し強調し、「是好良薬には、何の加減もいらぬことなれば、臨終にとりて服すべし。煩悩の病の、いゑずるという事」としてこの項の結びとしています。

「千代見草」は臨終をどう生きるか、また身近な人の最期をいかに支えるかを考える上で、法華経の信行の手引きといえましょう。臨終にお題目をすすめ、お題目の声があること、そして、安らかに導く、導かれることが法華信仰者としての尊厳ある姿といえましょう。なお、現代語訳「千代見草」の出版計画が進められています。






臨終11  日蓮聖人は 最期の日々に・・
           日蓮宗新聞2010.1.20 藤塚上人の記事より

弘安5年(1282)の秋、体力の衰えが見られる日蓮聖人は、門弟から温暖な地で療養をすすめられ、ご自身も故郷の父母の墓参を考え、身延の山を離れることになりました。

9月8日波木井実長公より贈られた栗鹿毛の馬に身を委ね西谷の御草庵を出立、富士の北麓を巡る行程をとられました。富士川を遡る道すがら、幾度身延の山を振り返られたことでしょう。18日して武蔵国多摩川の畔、池上宗仲公の屋敷に到着されました。翌19日には弟子日興に命じて「波木井殿御報」と呼ばれる礼状を代筆させました。

「所労の身にて候へば、不定なるも事は候はんずらん」と死期の近くを覚悟なされ、「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にさせ候」と御遺言されました。道中のお疲れは激しく、既に花押(書き判)さえ記すことができず、お詫びの言葉を述べています。その中で馬にも心を寄せ、このまま慣れている舎人をつけておきたいと慈しみの情を示されています。短文ながら日蓮聖人最後の書状を拝するとき胸せまる思いがいたします。

立ち寄られた池上の地でしたが、もはやお体は旅を重ねることを許しませんでした。病の床に就かれた師を案ずる弟子や信徒が、鎌倉をはじめ各所より馳せ参じ、お目通りと看護の日々がはじまりました。

9月25日これらの人々に「立正安国論」の講義をなされ、10月8日には日興に筆をとらせ、後事を託す日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の6人(不次第)を本弟子と定めました。後に六老僧と呼ばれ、聖人滅後は教団の形成と発展の基礎をつくった高弟です。

11日には枕辺に経一丸を招き寄せ、「日朗を師と仰ぎ行学に励み、京に上がり天皇に法華経の教えをお伝え申すように」と委嘱されました。時に経一丸は14歳。後に日像となり上洛、三度の法難(追放)にひるむことなく妙顕寺を建て勅願寺となし、ご遺命を成し遂げています。
12日酉の刻(午後8時頃)には、ご自筆の大曼荼羅を掲げ、その傍へご持仏、釈尊立像を安置させました。翌13日卯の刻には(午前6時頃)には大地が鳴動(地震)したと「御遷化記録」にあります。辰の刻(午前8時頃)ついにその時が訪れました。弟子、信徒の法華経読誦と唱題の中で「一日片時も心安きことなし、ただ法華経を弘めんと思うばかり」という多難の生涯を閉じられたのです。

終焉の地は池上の台地(本門寺)より西に下った大坊・本行寺。本堂に“お寄り掛かりの柱”が遺されています。

作家の瓜生中氏は近刊『「生死」と佛教』で「すでに体力も限界に達していた日蓮は床の上に起きあがるのも大儀だったが、この柱に寄り掛かって法話を続けたという。最期の最期まで『法華経』の持経者、実践者としての使命を果たし通したのである」と。また、「〈一日の命は三千界の財にも過ぎて候なり〉〈一日も生きておわせば功徳積もるべし。あら惜しの命や命や〉と言い、その大事な命は『法華経』の流布に賭けてこそ価値がある」として「最期の十日あまり、柱に寄り掛かりながらも説法を続けた日蓮の不屈の精神は、このような盤石な信念に支えられていたのである。

61年の生涯で日蓮は大切な命を燃焼させてきた。そして、最期の10日間も、一瞬たりとも疎かにすることなく燃やし続けた。見事な最期だった。本行寺本堂の、黒ずんだ細い、“お寄りかかりの柱”を見るとき、日蓮の命の重みを肌で感じるような気がする。これは筆者だけの感慨だろうか」と結んでいます。

人生は苦難克服の仏道修業の道場にほかなりません。お題目は日蓮聖人に直結する信行の絆。七百余年の時を隔てて、日蓮聖人の法縁に結ばれる私達は何と有り難く幸せなことでしょう。

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