お題目塔・石碑等 調査記録

場所 建立年 筆者 寸法p・形状 碑面・添書 建立者 特筆事項
当山境内 1
明治14年10月日
1881年
日鑑
身延74世
160×80
舟形
お題目
宗祖日蓮大菩薩六百遠忌報恩
掛川伊三郎 三林源作 小宮山清蔵 明治29年法善寺創立時移転。上部破損修復。
当山境内 2 文久2年5月
1862年
日凰
本陽寺大徳?
150×90
舟形
お題目 田中熊吉 平成12年新屋より移転。
田中熊吉は当山創立世話人
当山境内 3 90×90 お題目 下に日蓮大菩薩 平成12年新屋より移転。
市内
夏目田

4
慶応3年正月
1867年
日浄 200×130
舟形
お題目 願主・村中 隣に道祖神あり。個人宅地・道路辻。
市内
新屋
5 100×70 お題目 下に摩利支天尊 明治初期相撲興行時建立か?
小林真一宅地内。
当山境内 6 明治36年11月
1903年
日文
法善寺開基
800×300
竿型三重台
お題目
一天四海皆帰妙法 末法萬年広宣流布
賛助・法輪寺住職 井原日秀
田中ソウ・田中ロク・土屋ミキ他9名 法善寺創立世話人夫人が発起人となり建立。
寄付者548名刻。
市内
祢津
7 貞享2年より若干以前
1685年
600×1600
自然石

お題目 下に了照院殿月秀日普
首題左右に釈迦・多宝像を線刻。祢津の松平忠節の奥方「了照院」が婦人病に苦しみ法華信仰により全快。没後巨石下に埋葬。以来、婦人病平癒の信仰を集める・元来は小諸市「実大寺」の管轄であったが、今は当地「定津院」の管轄。
当山境内 8 文久○年5月14日
1862年
日凰
本陽寺大徳?
145×120
自然石
お題目 荒井熊吉 平成元年新屋・土屋元治宅より移転。
中央部破損修復。
当山境内 9 昭和3年6月10日
1928年
日文
法善寺開基
220×230
自然石・石積
お題目
奉誦久遠ゲ四十五満巻 願主・小林森太
歯科医師
小林栄之助
当山境内 10 平成14年 2002年 日秀
法善寺4世
150×125
舟形・黒御影
お題目
法華経読誦十五満巻成就
願主・小林栄之助 立教開宗750年ノ砌
小林経子
当山入り口
国道沿い
11 明治14年12月 日鑑
身延山74世
220×250
舟形 自然石
お題目
南無日蓮大士六百遠忌報恩印塔
天下泰平国土安穏萬民快楽
信徒中 裏面に寄付者多数刻。
昭和30年代国道開通時に加沢より移転。
市内 田沢 12 明治31年4月
1892年
日文
法善寺開基
170×160
平板型
お題目
高祖日蓮大菩薩 鬼子母神十羅刹女
田中勘次 田中留夫氏畑地。
市内 新屋 13 明治6年4月吉日 155×61
自然石 舟形
お題目 下に日蓮 講中 街道沿い 荒井氏所有
上田市
市営霊園
14 明治31年5月
1926年
日文
法善寺開基
170×90
舟形・自然石
お題目 小川清吉 市営霊園開設時に他より移転された。
上田市越戸 15 昭和13年2月16日 日政 ? 200×60
自然石・石積
お題目 井澤重太 井澤二三氏宅地内
市内 金井 16 明治14年12月吉日 日鑑
身延山74世
158×130
自然石 舟形
お題目 
宗祖日蓮大菩薩 六百遠忌御報恩
結社中 金井地区東
市内 新屋 17 明治7年4月吉辰 日健
身延山72代
125×94
自然石 
南無七面大明神 新井新次郎 13の隣にあり。
市内 寺坂 18 150×109
自然石
日蓮大菩薩 講中 隣に「日朝上人」「七面大明神」の小塔あり。
寺坂団地内。

この調査は2003年 長野県教化センターにて、長野県全県下にて宝塔(お題目塔)を調査収録したもので、その一部、当山関係のもののみ。

写真 1〜4
写真 5〜8
写真 9〜12
写真 13〜16

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写真 17〜19