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校章の由来

 この校章が誕生したのは、大正12年の秋である。そのころ、ほとんどの学校では、桜の花に尋小または高小と入った一般的な帽章を用いていたが、豊殿その他2〜3の学校では、独自の校章を制定し、和学校でもそれを要望する声が高まっていた。
 この校章は、当時の職員であった五明半平先生と田中橘仁先生のお二人の作と伝えられている。斈の字を象徴したものといわれ、好評で迎えられた。
 さっそく当時の信用組合(現在の農協)が、製作、販売に乗り出し、値段は1個5銭であった。
 田中先生率いるところの高等科2年生が秋の修学旅行に、全員真新しい校章をつけて勇躍に出発したありさまがしのばれる。
 昭和42年に、バッジを作る計画が出され、翌43年の新学期からは、子ども達の胸にこのデザインが装いも新たによみがえったのである。
 今の校章をながめてみると、80周年記念の折りに制定された校歌に歌われている烏帽子の峰とくるみの形をも共に象徴しているかのようで、新しい感覚で生き続けている校章である。


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