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C

大原スキー場より守門岳(水彩)

 

1977.11.5

 

登山口の沢筋で絵を描いていると、通りがかりの地元の人がしばらく不思議そうに眺めていて切り出した。

「荷物には何が入っているんだい?」

長く登山をやっている間には、こんな質問が他にもあったような気がする。

が、やはり答えるに戸惑う質問である。

これは、「何のために山に入ってくるんだい?」という質問と同義ととってもよい。本当はそう聞きたかったのだが、とりあえず具体的な質問から入ってきたのかもしれない。

山村の人が山に入るときは、カラ荷で入り、帰りに山菜、薪等をかついで下りてくる。

別にそういう様子でもなく、これから登るとしたら、いったい中には何が入っているのか?

何の商売で食っているのか?

実際、山の人には不思議であったのかもしれない。

山に登るのは苦労だ。

苦労して登るのは、食べものを取ってきたり、何らかの生活手段となるものを求めて行くというのが、山人にとっての普通の理由である。

長野県北信の鬼無里であったと思うが、やはり山に登りに行って、林道で軽トラの荷台から何か取り出そうとしていたとき、近くにいた二人連れかツーっと寄って来て、

「あったかい?」

と言って、成果を見ようと荷台を覗きこんできた。

これも、この時期山に来る目的が、山人にとってはきのこ採りしか考えられないことからくると言えるだろう。

どちらも著名な山ではなく、一般登山者が頻繁に訪れる地域ではなかったせいもある。

今では、チベットの山奥でさえ、登山客は不思議な存在ではなく、むしろ訪れを待たれている。

しかし、昔から、山は生活のため、必死になって糧を得るための場であったというのが普通だろう。

それなのに、時には命がけで、渾身の労力を惜しまず、ただ登山のためにだけ、金を投じて何も持ち帰らない入山は、やはり山人にとっては、理解に苦しむとことだろう。

自分の中にも、山に登りたいという気持ちと、無駄なことをしている、という二つの気持ちが共存している。

これだけのエネルギーと金と時間を投じたなら、他にかなりなことを実現できるであろうに、とも思う。

[関連図書]

山田亀太郎・ハルエ述、志村俊司編「山と猟師と焼畑の谷」白日社
秋山郷に生きた猟師の詩。
この生き方より、エベレストに登る方がたやすい。
「自然に生きるとは?」・・・ずしりと重く教えてくれる。
偉人の伝記より、これを押す。一押し名著!

 

painted by morisaki

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