妙光寺青年会
「太陽と蓮華の会青年会」

                                  H19/2/4
◆平等という事
今日本で暮らしている私たちは、「平等」という事を当たり前だと思っています。しかし、世界では奴隷制や、植民地、黒人差別、女性差別、インドのカースト制度、日本の士農工商などの差別の歴史がごく最近までありました。いまだに裏で苦しんでいる人がいます。
 
2500年の昔、そのような差別のある世相の中で「人々の平等」を説かれたお釈迦さまの教えは、誠に尊いことだと思います。特権を持った支配階級にも受け入れられ、アショカ王のように石柱を建てて国中に教えを広められた方が出られた事は、すごい事だと思います。
 
スッタニパータ(SuttanipÂta)お釈迦さまの言葉
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生まれを問題にしてはいけません。行いを問いなさい。火というものは、どのような種類の薪からでも生ずるものです。いやしい家に生まれたひとでも聖者として道心堅固であり慙愧の心で慎ならば高貴の人となります。
 
人は生まれによって尊いのではなく、行いによって尊いのです。
 
佐々井秀嶺上人
 現在インドには、不可触民といって三千年にわたって差別を受け、1日1ドル以下で暮らしている人々が2億人以上いるといわれています。今その虐げられた人々の味方になって、1億5千万人の仏教徒の代表者として活躍されている、日本人僧侶に佐々井秀嶺上人という方がいらしゃいます。
 岡山県出身の佐々井上人は、教えを求めて日本国内を歩き、1967年にインドに渡ってからは一度も帰国せず、アンベードカル博士の改宗の地ナグプールを基盤に仏教の再興に奔走してきました。インド地図ナグプール地図
「僧侶は社会事業家、改革者だ。僧衣はユニフォームだ」と断言する佐々井上人を、信者や僧侶は「バンテージー・ササイ(佐々井上人)」と親しみを込めて呼び、師の足元に額づきます。佐々井上人は、虐げられた人々の味方になる、これこそが仏教徒としてのあるべき姿だと言われる。
 1988年、インドの市民権を得てからは、聖地ブッダガヤの大菩提寺の管理権をヒンドゥー組織から取り戻す「返還闘争」に着手。全国の仏教徒の先頭に立ち、ヒンドゥー支配層に対して象徴的な闘いを挑んできました。1994年アンベードカル国際賞を受賞。佐々井上人の活躍などもあり、2002年大菩提寺が世界遺産に登録されました。2003年インド少数宗教委員会仏教代表に選出されました。2006年少数宗教委員会仏教代表退任されました。

 同年10月には、アンベードカル仏教集団改宗50周年「黄金大祭」の大導師を勤められました。政治家や会社社長、医師、弁護士など仏教徒があらゆる分野で躍進していますが、まだ少数派です。今、佐々井上人に受け継がれたアンベードカル博士の遺志は社会変革の大きなうねりを生み出しています。
 
佐々井上人は、お題目の家庭に育ち、真言宗のお寺で得度し、タイに遊学、インドではしばらく日本山で修行され、アンベードカルの仏教を引き継がれました。仏教を実践の教えととらえ、平等の実現に奔走されています。礼拝文、三帰依文、五戒文等をパーリー語で唱え、お題目まで唱えます。そして龍樹菩薩の活躍された地と思われる遺跡を発掘調査して、南天竜宮城を探しています。南方仏教の方も来られ仏像が奉納され、日本の多くの仏教宗派も協力を惜しみません。「仏教は仏教だ」という師の信念が感じられます。どうかこのまま宗派にとらわれない仏教としてインド全土に広まり根づいていってほしいものです。
 
アンベードカル博士
 インドはブラーミン(バラモン)を頂点とするヒンドゥー社会。カースト外に位置付けられた最下層の不可触民は、カースト・ヒンドゥー(カーストに属するヒンドゥー教徒)から「触れるな、近寄るな、視るな」として動物以下に扱われ、共同井戸の使用さえ禁止されてきました。独立後のインド憲法で不可触民制は廃止されたが、カースト制の弊害は根深い。 
 
 アンベードカル博士は、不可触民出身ながら独立インドの初代法務大臣を務め、平等を保障したインド憲法の起草者です。博士は不可触民同胞の解放のため生涯をヒンドゥー支配層と闘い、国民から「独立の父」と英雄視されるガンジーと激しく対立しました。ガンジーが、不可触民を「ハリジャン(神の子)」と呼びながら、実はカースト制を守ることに固執したからです。
 
 最下層の権利を無視し続ける支配者層に絶望した博士は、ヒンドゥー教がインドの発展と民主化を阻止していると見限り、1956年、ナグプールのディークシャブーミーで60万人の不可触民とともに仏教に集団改宗しました。仏教を選んだのは、インド古来の文化であり、ブッダの説く自由、平等、友愛の精神は民主主義に欠かせない生活原理だと考えたからです。アンベードカル博士が晩年書いた『ブッダとそのダンマ』は、仏教入門書でありますが、現在数千万(1億5千万とも言われる)のインド仏教徒にとってバイブルのような重要な聖典になっているという事です。
 改宗で生まれ変わった人々は博士を「アンベードカル菩薩」と呼びブッダと同格に信仰します。しかし、集団改宗から2ヶ月後、博士は急逝し仏教徒は指導者を失いました。そこへ現れたのが日本人僧の佐々井秀嶺上人だったのです。

参考文献 山際素男著『破天』、山際素男訳『ブッダとそのダンマ』、山際素男著『不可触民』
 
◆テレビで 
NONFIX「男一代菩薩道〜インド仏教の頂点に立つ男〜」を見て、感動しました。
何かお手伝いしたいと思い、インドに行って佐々井上人お会いしてきました。
    
2006年11月28日、知人のインド人ガイド マヘシ・クマル・ミナさんのマンションで佐々井秀嶺上人と面談。日本食を召し上がっていただきました。 デリーでアショカ王の石柱を2カ所お参りしてきました。 佐々井上人にお会いした事を記念して購入してきました菩提樹の木がこんなに大きくなりました。(2007年9月現在)