立教開宗七百五十年慶讃
  本堂東側棟改築及び付随事業落慶ご挨拶

 春光うららかな好季、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃 本堂東側棟改築及び付随事業落慶式を多くの皆様と共にお迎えできたことは大変な喜びであります。着工以来四年、このたび無事竣工し、本日の落慶式を迎えることができましたのは、ひとえに檀信徒総代各位を始め建築委員、檀信徒の皆様のご協賛、ご支援の賜と感激にたえません。ここに厚く御礼申し上げます。

 また大工棟梁吉山良二氏は卓越する技術を駆使し誠意をもって丁寧に施工し、完成に尽力下さいました。ここに深く感謝申し上げます。
 本日の落慶式に、ご来臨ご出座下さいましたご寺院様、誠にありがとうございました。

 また遠近より多数ご参集下さいました檀信徒の皆様には心より御礼申し上げます。

 さて当山妙光寺は、開創以来四百七十年の歴史あるお寺でありますが、近年老朽化が目立ってまいりました。特に奥書院は、川の際に石垣を積んだところに建っているのですが、市の治水対策で川底を深く掘った時に建物がゆがんだような気が致しました。その後すぐ近くに十三階建てのマンションが建つ時にも地面が相当深く掘られました。掘られた事と工事中の振動の影響か、目で見ても明らかに傾いていることが解りました。

 平成九年、この件について総代・世話人で協議致しました。その結果、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃事業として、本堂東側棟・離れ座敷を新築しようということになりました。九年十一月九日建築委員会を組織し檀信徒皆様の協力を仰ぐことになりました。

 工事は檀徒の大工棟梁吉山良二氏に依頼することになりました。吉山氏はまさに自分お寺ということで、採算を度外視して自分が気に入るまで丁寧に施工して下さいました。
 平成十年七月十七日、本堂東側棟・奥書院・接続棟取り壊し。七月二十六日地鎮祭。十月三日上棟式。十二年三月完成。同三月、第二期客殿工事開始。広間の壁の塗り替えと、屋根の補修を行いました。四月完成。十月漏水と白アリ対策のため、お勝手工事開始。十二月完成。十二年四月二十一日、稲荷堂解体作業開始。二十五日稲荷堂新築の地鎮祭。五月十五日上棟式。その後塀の改修等を行いました。六月二十八日竣工。十三年六月十四日、本堂内壁塗り工事開始。御宝前には金箔を張る。七月二十一日完了。八月二十七日、鬼子母神堂の壁と屋根のトタン張替終了。また本堂前に手すりの高欄を造る。

 檀信徒の皆様には、バブル崩壊後の不景気な時代であるにもかかわらず、本当に早いうちから御寄付を納入して下され、銀行から一度も借り入れをしないで工事を行うことができましたことをありがたく報告させていただきます。

 今ここに、本堂東側棟・奥書院完成し私たちの信仰のよりどころとなる場施設が出来ました。腰掛けてお茶をお飲みいただけるロビーも造りました。

 檀信徒の皆様には、法事や葬儀の時だけでなく、お寺の行事や信行の集まりにも参加してお越しいただきたいと思います。また苦しいとき、悲しいとき、楽しいとき、嬉しいときも、お寺にお参りになって、仏さまやご先祖様とまみえて欲しいと思います。また身の上や、家事等の相談、或いは医療、健康の相談にもこの施設を活用していっていただきたいと思います。

 日蓮聖人は撰時抄で「衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一滴一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」と仰せられております。この日蓮聖人の心をうけついで、み教えと信仰を守り、そのご理想を引さ継いでこの世に仏の国土を築くようつとめてまいりたいと思います。

 今新聞やテレビをにぎわすニュースは、親が子を殺し、子が親を殺し、はたまた幼児虐待や薬物中毒。政治家の脱税や不法な行動。世界に目を転ずれば、戦争、災害、飢饉や大事故。

 今ほど宗教が必要な時代はありません。そして布教のために侵略を行わない仏教にこそその役割があると思います。中でも法華経は「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」とすべての人の救済を説いています。今私たちは集う所ができました。これからはここを拠点に、お題目を唱え少しでも世の中が良くなるように菩薩行に精進していきたいものと思います。

 本日この本堂東側棟改築及び付随事業落慶式にご臨席賜りました諸上人、並びに檀信徒皆様のご繁栄をお祈りし、また今後のご指導とご支援の程をお願い申し上げ、私の挨拶と致します。

平成十四年四月二十一日
                    妙光寺第十七世
                      宮  淵  泰  存