1.ブッダ(釈尊)
 
 仏教とは、仏すなわちブッダ(Buddha)の教えである。漢字で「仏」の字をあてるのはブッダの発音に漢字を当てたもの。音写である。日本でこれを「ほとけ」と読むのは、中国での初期の音写ブト(浮図や浮屠の字をあてる)が日本へ入って「ふと」から「ほと」になまり、これに「け」がついたものとされる。
 
 ブッダは、わが国では「釈迦」あるいは「釈尊」(しゃくそん)と呼ばれることが多い。「釈尊」とは「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」の略とされる。ブッダが釈迦族(サーキヤ族、あるいはシャーキヤ族)の出身であることによる尊称である。牟尼(muni)とは「聖者」のことで、世尊(bhagavat)とは「福徳あるもの」の意味である。仏典において仏弟子たちは、この「世尊」という尊称をよく用いる。
 
 伝説によれば、ブッダは現ネパール領南部の出身で、29歳のとき出家、35歳で成道し、45年にわたる布教の後、80歳で入滅した。
 生没年は、アショーカ王の年代との関係によって論じられる。アショーカ王の年代は、およそ前268年即位、前232年没とほぼ確定されているが、ブッダとの年代の間隔については、伝承により異説がある。紀元前463年誕生説が有力。
 

 
  
2.日蓮聖人
 
 「三国四師相承」
釈尊ー天台ー伝教ー日蓮、と伝わった法華経流伝の系譜
 
 日蓮聖人は承久四年(1222)2月16日(同年4月、貞応と改元)、安房の国(千葉県)東条郷小湊に生まれた。
 
「日蓮」の「日」の一字は、法華経神力品(第二十一)にある
<日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして畢竟して一乗に住せしめん>
という一節から選び取ったものでした。
 
「蓮」の一字は、法華経従地涌出品(第十五)に示された、
<普く菩薩の道を学して、世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し>
の言葉にもとづいていました。
 
 「日蓮」の名のりにこめた自覚を、日蓮大聖人はこう述べています。
 「およそ、名ほど大切なものはない。日蓮と名のる事は、自ら法華経の一仏乗を信じ理解したからである。……法華経には、『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』とある。『斯の人』とは、釈迦牟尼仏より、末法の世に法華経をひろめるよう委託された上行菩薩が、末法のはじめに出現して、南無妙法蓮華経の光明をそそいで、生死の苦しみをさまよっている人々の心の闇を照らす、という事である。日蓮は、この上行菩薩の御使いとして、まず日本国の人々に法華経をすすめるのは、この経文の通りに実行しようとしているからである」
 さらに、次のようにも語っています。
 
 「闇であっても燈をつければ明るくなる。濁った水でも月が宿れば澄む。明るいことは日月の光にすぎるものはない。浄らかなことは蓮華にまさるものがあろうか。法華経は、暗い世の中を明るくし、濁った人の心を浄める日月の光と清浄な蓮華なのである。そこで、妙法蓮華経と名づけられている。日蓮もまた、その日月と蓮華のように生きるものなのだ」
 
 太陽の光のように明るく
 まっくらやみの世の中と、人の心の闇をとりのぞいていこう
 泥にまみれながら、花を咲かせる蓮華のようにきよらかに
 世と人の煩悩の垢や泥を洗いながし、身も心もきよめていこう
 
 日蓮大聖人は、こう誓願してみずから「日蓮」と名のり、仏の使いとして生き、菩薩行に身を献げることを誓ったのです。
 
そこで妙光寺青年会を「太陽と蓮華の会」と名付けました。