妙光寺団体参拝旅行の栞
厳島弁財天御開帳・広島国前寺・日通寺参拝
・原爆ドーム平和記念公園
――妙光寺弁財天350年振りのお里帰り御法楽――
信州上田妙光寺
妙光寺に安置される弁財天は、広島城浅野家より上田城仙石忠俊候にお輿入れになった亀姫様が、守り本尊として捧持してきたものです。これは広島城浅野家で信仰されていた厳島弁財天の分身像です。初め上田城の西の堀の弁天島に奉られましたが、その後上田城主の御屋敷から鬼門の方角に当たる当山にお遷しされました。弁財天上田の地に奉られて、本年は350年を迎えます。そこで当山は、弁財天350年振りのお里帰り団参旅行を計画しました。
◆旅行期日:平成20年6月16日(月)〜18日(水) 2泊3日
◆日 程:
1日目は、上田駅から6名、川中島駅から1名、松本駅から2名、東京駅から4名の乗車、名古屋駅で合流します。名古屋駅でお弁当とお茶を購入します。
広島で、日通寺を参拝します。駅の改札では、乗車券を渡さず持って降りて下さい。
東海道線で宮島口に到着しましたら、駅の改札では、乗車券を渡さず持って降りて下さい。約5分歩いていただきJRの船の乗車口に行きます。
船で宮島に渡りましたら、ホテルは徒歩5分です。荷物を置いた後、厳島神社など参拝します。
2日目は、午前中観光、大願寺本堂内参拝などして、11時半大聖院で昼食をとります。午後1時大願寺大祭に参列。
広島駅の改札では、乗車券を渡さず持って降りて下さい。
3日目、原爆ドーム平和記念公園、国前寺参拝。
宿泊先:1日目/ホテルみや離宮 рO829−44−2111
〒739−0550 広島県廿日市市宮島町849
2日目/ホテル法華クラブ広島 рO82−248−3371
〒730−0037 広島市中区中町7−7
6月16日(月) |
上田▬═▬═篠ノ井▬═(しなの4)▬═▬聖高原▬═松本▬═名古屋(のぞみに合流)↓ 7:47 8:14 8:20 9:03 11:07着 東京▬═▬═(のぞみ65)▬═▬═▬名古屋═▬═▬═▬広島==日通寺==広島═▬═▬═▬═ 9:50 11:35発 13:56着 生式 約30分 宮島口……宮島口≈≈≈≈宮島……ホテルみや離宮着…厳島神社・宝物館・千畳閣 徒歩6分 船10分 (約1時間半観光) みや離宮 泊 |
6月17日(火) |
大聖院(拝観・昼食)……大願寺・弁財天御開帳参列……宮島≈≈≈≈宮島口…… 11:30 13:00 船10分 徒歩6分 ……宮島口▬═▬═▬═▬═広島 ホテル法華クラブ広島泊 約30分 |
6月18日(水) |
広島 ホテル***(タクシー)***原爆ドーム……平和記念公園***国前寺***広島駅 9:00 10:00 11:00 12:00 広島▬═(のぞみ26)▬═名古屋▬═(しなの19)▬═松本▬═▬═篠ノ井▬═▬═▬═上田 13:05 15:29 16:00 18:03 18:49 18:54 19:21 篠ノ井▬═▬═川中島 18:53 18:59 松本▬═▬═聖高原 18:38 19:10 広島▬═▬═▬═(のぞみ26)▬═▬═▬═▬═▬═▬═▬═▬═▬═東京 13:05 17:13 |
日通寺
英心山日通寺は浅野二代藩主光晟の夫人満姫(まんひめ=自昌院じしょういん)の晩年の願いで元禄5〜8(1692〜1695)年に建立された法華宗のお寺です。本堂は近年再建されたそうです。
寺名は三代綱晟(つなあきら)の法名:天心徹性日通による。自昌院は前田利家(1538-1599)の孫、徳川家光の養女として輿入れ。亀姫様は、この自昌院の次女。
大願寺
正式な呼び名は、亀居山方光院大願寺。開基は不明ですが、建仁年間(1201年〜1203年)の僧了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹です。明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に担い、千畳閣、五重塔、多宝塔などから形成される厳島伽藍の中心をなしていました。
この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つ。弁財天は現世利益の女神様で、神仏習合の時代は厳島神社の主神・市杵島姫令が理財の女神として崇められるようになり、仏教の弁財天と同一視されていました。神仏分離令によって厳島神社から遷されたこの厳島弁財天をはじめ、宮島に現存する仏像の中で最も古いとされる木造薬師如来像(重要文化財)、千畳閣の本尊だった木造釈迦如来坐像(重要文化財)、その両脇を守っていた阿難尊者像と迦葉尊者像(ともに重要文化財)、五重塔の本尊だった三尊像、多宝塔の本尊だった薬師如来像、護摩堂の本尊だった如意輪観世音菩薩などを収蔵しています。
また、本堂奥の書院は、第二次長州戦争の際、勝海舟と長州藩を代表する藩士らが講和会議をした場所として知られます。
国の重要美術品に指定されている「瀟湘八景・尊海渡海日記」屏風。天文6年〜8年(1537年〜39年)、大内義隆の斡旋により、この寺の尊海上人が高麗版大蔵経を輸入するために朝鮮半島へ渡った際の記録で、かの地で求めた高麗の八曲屏風の裏に書きつけてあります。表の湘瀟八景の墨画も15世紀の朝鮮絵画の基準作例として貴重なもの。
明治初頭の神仏分離令で損失した護摩堂を平成18年(2006年)春、 約140年ぶりに再建。仏が宿るといわれる香木・白檀(びゃくだん)を使って制作された高さ約4mの巨大な不動明王像を祀っています。
亀居山とは、塔の岡のことで、上空から見ると丁度亀のように見えるためです。大願寺も昔はこの塔の岡の下(現在の荒胡子神社横辺り)にあったようです。
また、伊藤博文公お手植えといわれる9本松が境内にあります。
厳島神社
1400年の歴史をもち、日本全国に約500社ある厳島神社の総本社である。
宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀る。市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天と習合しており、当社は江ノ島・竹生島とともに日本三弁天の一つとされている。
厳島神社のある厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」と呼ばれ、日本三景の一つとなっている。平家納経で有名。厳島神社の平舞台は、四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、住吉大社(大阪市住吉区)の石舞台と共に「日本三舞台」の一つ。ユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。鳥居の高さは、16メートル。
平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、仁安3年(1168年)ごろに平清盛が現在の社殿を造営した。平家一門の隆盛とともに当社も盛えた。平家の守り神であった。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けた。戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢が徐々に衰退するが、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、当社を崇敬するようになってから再び隆盛した。元就は大掛かりな社殿修復を行っている。豊臣秀吉も九州遠征の途上で当社に参り、大経堂を建立している。
大聖院(昼食)
広島県廿日市市宮島町にある真言宗御室派の大本山の寺院。山号は多喜山(たきやま、「滝山」とも)、多喜山大聖院水精寺(すいしょうじ)と号する。
宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院である。観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されている。
大聖院は中国三十三観音の第十四番札所でもあり、紅葉の名所でもある。
國前寺
日蓮宗寺院である國前寺は、「國前寺縁起」によると、暦応三年(1340)に安芸の国を訪れた日蓮聖人の弟子日像上人が、尾長山の麓で草案を営んでいた僧暁忍に出会い、この時暁忍が日像上人に師事し、寺(暁忍寺)を開いたのが始まりであると言われる。
その後、明暦二年(1656)に広島藩の二代藩主である浅野光晟その妻満姫の帰依を受け、寺領二百石を拝領し菩提寺となり、寺名を國前寺と改称した。これを契機に本堂、庫裏などの諸堂の造営が行われ、寺観が整えられた。平成5年(1993)に本堂と庫裏が国重要文化財に、平成7年(1995)に山門と境内地が市重要文化財に指定された。」