信心のこころえ

 

一 お釈迦様と法華経

 「シャカ族の聖者、ブッダはここに生まれた」と刻まれた紀元前三世紀ころ

の石柱が発見されたことによって、お釈迦様が北インドのルンビニー近くで宗

教活動をした実在の人であることが明らかになりました。

 ところが、そのお釈迦様が『法華経』を説いていらっしゃる時、「私は永遠

の昔からの仏なのだ」という重大な発言をなさったのです。そして、「遠い昔

から、いろいろな名前の仏が出現して多くの教えを説いてきたが、それらの仏

たちは、みな私が姿をかえて現れたものだ。そして、時と場に応じた法を説い

たのだが、今、一番大切な教えを人間の世に遺すために、人間として生まれて

きたのだ」と、この世へ出現した目的を明かして『法華経』をお説きになった

のです。ですから『法華経』には、お釈迦様の真意、つまり仏法の精髄がこめ

られているのです。

 しかし、お釈迦様が本当に私たちのためを思って出現なさったのだとするな

らば、どうして、いつまでもこの世にとどまって、私たち凡夫を救いつづけて

くださらないのだろうか。ふつうの人間と同じように死んでしまわれたのはな

ぜなのか、という疑問が涌いてきます。

 このような疑問に対し、『法華経』は一つの譬えをもって答えます。

 −毒を飲んで正気を失ってしまった子供がいた。幸いに父は名医であったの

で、その病気を治す薬を作って飲ませようとした。しかし子供はいやがって薬

を飲まない。そこで父は旅に出て、外国で死んでしまったという知らせを届け

させた。子供は、やさしかった父の面影をしのび、生前にわがままを言ったこ

とを恥じて、父が置いていった形見の薬を飲んだので、結局は病苦からのがれ

ることができた−

 この、名医の父が生きていることに甘えた息子が、父の死を聞いてあわてて

良薬を飲み、苦悩を脱したという譬え話は、いうまでもなく、迷いの渕に沈ん

でいるすべての凡夫が、『法華経』を受持して幸せになるために、お釈迦様は

仮りの死を演出したこと、しかし実は不滅な存在であって永遠に妙なる法を説

きつづけていらっしゃることを示したものです。

 とするならば、人間としては死滅してしまったお釈迦様は、どこに、どんな

お姿でおいでになるというのでしょうか。

 このような疑問に対しても、『法華経』は明快に答えてくれています。仏は

『法華経』として永遠に生きているのだと。つまり『法華経』は、お釈迦様が

お説きになった仏の教えを字に現わしたといった、仏にとって外側の存在では

なく、一つ一つの文言がそのまま仏であるお釈迦様自身だというわけです。

 ですから、『法華経』と共にある人は、誰でも、お釈迦様と同じ、悟りの世

界に生きることができるということになります。

 

二 ご本尊とお題目

 

 二十五年前のことです。朝起きて、顔を洗うと、鼻血が出るようになりまし

た。高校を終え、上京して来た春のことです。男の鼻血はいけないと聞くと、

不安になりました。生れが広島のため、原爆症ではないかという。間もなく、

身体が気だるく、食がなくなり、病床にふしました。内臓の疾患でありました

 学校を休学し、養生に専念しました。毎日、注射と投薬、ほかに漢方薬、よ

いと聞けば、家伝薬ものみました。暑い夏が終り、寒い冬も過ぎていきました

。病状は、一向によくならず、意欲がなくなり、身体に自身を失なってきまし

た。

 その頃でありました。真の良医、良薬を知りました。

 日蓮聖人のお教えであります。

 聖人のご誕生は、承久の乱がおこった、直後のことです。朝廷は、幕府にた

おされ、権力は、北条義時のにぎるところとなりました。

 貴族政治から、武家政治にかわる、大きな時代の節目でありました。

 同士打ちや内乱によって、国中が混乱していました。呼応するが如く、自然

界の現象も荒れました。季節はずれの大風、洪水、地震、大火、ききん、餓死

、疫病の流行等が重なりました。人々は動揺し、不安と恐怖は、極限に達しま

した。日本国中が、生き地獄と化しました。人間の病気にたとえれば、すでに

末期症状でありました。

 聖人は考える。救世主はいないのか。比叡山、高野山ほか諸大寺の釈迦仏、

阿弥陀仏、大日如来、大仏等は、日本国を捨てゝしまったのか。

 救国の名医、良薬を求めて、聖人の研さんが続きました。ご出家二十年を経

て、結論が出ました。

名医、ご本尊とは、釈迦仏なり。

良薬とはお題目の五字なり

有難きお教えは、法華経なり。

 積年の疑問が晴れました。

 ご本尊、釈迦仏は、唯一無二の仏なり。釈迦仏こそ、救国の良医ではないか

 ご本尊、釈迦仏の生命は、永遠に不滅である。過去、現在、未来にわたり、

無始無終である。釈迦仏の教化と救済は、深遠なる智慧と、広大なる慈悲心に

よって、休むことなく行なわれている。宇宙をはじめ、森羅万象は常に変化し

生きている。みな釈迦仏の生命の一部である−。

 その昔、インド国に、ご生誕の釈迦仏は、ご本尊、釈迦仏の化身でありまし

た。ご本尊、釈迦仏が、仏教を弘め、悟りを説くために、人間の姿となって、

地上に現れたものであります。

 かくして、日は東天に昇り、西にしずむ、天体の軌道に狂いなし。地水火風

空は、万物を平等にうるおす。生物は地より生じ、地にかえり、春は花咲き、

秋は木の実なる。人は満ち汐に生れ、引汐にゆく。人に心を宿し、魂をやしな

う。

 これらは、ことごとく、ご本尊、釈迦仏のご慈悲であります。

 聖人は説く、お題目は良薬なり。

人々よ、お題目は、法華経の題名ではない。釈迦仏の智慧と功徳が納まってい

る。

人々よ、釈迦仏をご本尊と仰ぎ、お題目を唱えよ。釈迦仏の救済は無限である

人々よ、感謝のお題目を唱えよ。釈迦仏は智慧と功徳を、自然にゆずりたもう

人々よ、釈迦仏は、お題目の声を待っている。唱え、唱えて、身に心にしみこ

ませよ。

人々よ、お題目を信じて唱えよ。学問はなくても、男も女も子供も、平等にま

もりたもう。

人々よ、お題目は、三世(過去、現在、未来)を救う。ご先祖も子孫も安心で

ある。

人々よ、お題目を唱えると、過去の罪障が消滅できる。

人々よ、お題目を唱え、心を清めよ。愚痴、むさぼり、いかりの心をなげ捨て

よ。

人々よ、お題目を唱えて、悟りをめざし、行ないを正せよ。だれでも仏になれ

る。

人々よ、苦しい時、淋しい時は、逃げてはいけない。お題目を唱えよ。生きる

力と勇気がわいてくる。

人々よ、お題目の声は、諸天善神を集める。その人の住居は、諸仏のすみかと

なる。

人々よ、お題目を国中に弘めよ、諸天善神は、国中を守る。荒廃の国土が、極

楽世界にかわるのだ。

 日蓮聖人ご入滅第七百一年、金言は生きているのです。

 

三 日蓮聖人と日蓮宗

 

 日蓮聖人(西暦一二二二−一二八二)の六十一年にわたる御生涯は、仏教の

教主釈尊の精神を人々に伝道することでありました。その教主釈尊の精神は、

私達凡夫の苦悩をとりのぞこうとされる多いなる慈悲であり、しかもそれは社

会全体に及ぶものであります。

 教主釈尊は凡夫の苦悩からの脱却を具体的に示され、それらは「おしえ」と

して、私達に深くかかわってくるものと受けとめることができます。日蓮聖人

は、この釈尊の偉大なる精神、すなわちおしえは「妙法蓮華経」(法華経)と

いう経典にすべて内包し、末法という精神的支柱を失ない、しかも社会的に混

乱がみられる世の人々のためにこそ留め置かれたものと信受されたのでありま

す。それゆえに、身命をも惜しまれない聖人の勇猛果敢な法華経の伝道は、釈

尊の精神を具現化することであり、釈尊の大慈悲を人々にもたらすことであっ

たと言えます。

 日蓮聖人のひたすらな教主釈尊への信仰と、法華経への帰依は、そのまま多

くの人々の生きるともしびとなり、また勇気ともなりました。聖人の教えに浴

し、謦咳に接した人々は、聖人の指し示された釈尊の永遠なる世界に感動し、

信仰の悦びを体験されたことと思われます。

 日蓮聖人は弘安五年十月十三日に池上の地において入寂されましたが、聖人

のお弟子や信者の方々の悲しみは表現し難いものであったと想像されます。し

かし、その悲しみの中にあって門下の人々は、聖人の遺志を継承し、法華経の

教えを伝道することを真の道だと考えられたことは言うまでもありません。

 日蓮聖人在世中多くの人々が聖人の教えに帰依をして、信仰の集団が形成さ

れていました。聖人滅後も、聖人の教えの通り、法華経を根本聖典とし、帰依

の対象−御本尊を法華経に説き明かされている永遠なる教主釈尊と定めて、信

仰が脈々と今日まで伝えられてきたのであります。

 日蓮聖人が御入滅なされて七百年という歴史的な時間が経過しておりますが

、聖人の教えはいよいよ輝きつづけることだと信じます。聖人の教えを中心に

社会的に「日蓮宗」が存在しておりますが、この宗団は聖人の伝道された法華

経の精神を継承し、しかも聖人の目指された世界の和平を目的としていること

は申すまでもありません。またそのように誓いを立てることが日蓮聖人の門下

だと考えるのであります。

 聖人の教えに生きることは、自己の精神的安心のみを志向することなく、社

会へ、世界へと積極的にかかわりをもち、慈悲のこころをもって接して行くこ

とだと考えます。その慈悲のこころをもち、社会のともしびとなる信仰の宗団

が、「日蓮宗」であります。

 

四 日蓮宗と新興教団

 

 ひとくちに新興教団と言うと、昭和のはじめから戦後にかけて発足し、社会

の底辺の中で発展を遂げた宗教集団を指すものと思われます。これらの新興教

団は形態上、仏教系、神道系、キリスト教系などに分類できますが、その中で

最も飛躍的に発展を見せたのが、仏教系、特に題目系の新興教団でありましょ

う。即ち霊友会・立正佼成会・仏所護念会、妙智会、創価学会などがそれであ

ります。

 ところが、現実にこれらの教団の信仰形態と日蓮宗のそれとを比較してみま

すと、実に酷似していることが多い。たとえば、お題目を唱えるという一面を

とって見ても、酷似どころか、まったく同じものと言っても過言ではありませ

ん。

 そうすると、私達日蓮宗宗徒にとって、日蓮宗の信仰と題目系新興教団とは

どこが違うのか、同じお題目を唱えながらなにが違うのか、という基本的な疑

問も出てきます。

 そこで、ここにその違いを簡単に列記してみましょう。

 まず第一に、私達のお題目は日蓮聖人の教えと一体となったところのもので

あるということであります。言うまでもなく、お題目とは、日蓮聖人が自らの

生き方を通して、現代の私達にお釈迦様、法華経の生き方を示され、そのエキ

スとして与えて下さったものが日蓮宗のお題目であります。従って、たとえど

んなに歴史的教義的に理屈をならべてみても、日蓮聖人をぬきにしたお題目は

単なる言葉にすぎないのです。新興教団でも社会の浄化、仏国土建設、人間の

変革等、いろいろなことを提示していますが、これらも本来は日蓮聖人の生き

方を通してこそ、はじめて言えることなのであります。

 第二に、法華経は人間の生き方を示す教えであるということです。それは私

達に苦しみを乗り越える生き方を教えると同時に、満ち足れる私達を戒める教

えでもあります。それを幸福製造機の如き「ご利益」のみに集約させることは

大きな誤りであります。

 第三に、正しい教えは、僧は僧の役割を果し、在家は在家のあり方をもって

生きるということであります。新興教団の多くは在家主義を強く主張していま

す。それによって現実社会を基盤とした組織体制を築きながら、飛躍的に発展

してきました。それは在家なるがゆえの成果とも言えましょう。しかし、反面

自分の都合のよいように−企業的に−教えを商売道具として使っているという

点があります。最近の創価学会などはそのよい例でありましょう。それは僧は

僧として、在家は在家としての立場(ルール)を忘れ乱したところから出た必

然的結果と言えましょう。

 しかし、こうした新興宗教集団を成長させてしまった大きな原因は、なんと

言っても私達の信仰の弱さにあったことも事実であります。かく思うとき、私

達はその反省を常に失わないで真の日蓮聖人の信仰を流布していく義務と使命

を、もう一度再確認していきたいものであります。