2002年、日蓮宗は立教開宗750年をお迎えしました 


立教開宗七百五十年を迎えるにあたって 平成十四年(二〇〇二)、二十一世紀という新しい時代の幕あけとともに、私たち
日蓮宗は「立教開宗七百五十年」を迎えます。
立教開宗とは、建長五年(一二五三)四月二十八日、日蓮大聖人が故郷の清澄山
(現在の千葉県清澄寺)・旭の森の頂で、はじめて南無妙法蓮華経とお題目を朝日に
向って唱えられ、「日蓮」の名のりをあげて、釈迦牟尼世尊(お釈迦さま)の説い
た真実の教えである法華経(妙法蓮華経)を説きあかされ、お釈迦さまと法華経の信
仰、お題目の功徳を伝え、社会の平安と人間の幸福をめざす日蓮宗を、この日本に
創立したことをさしています。
 日蓮大聖人は、こう語りました。
「日蓮一人、はじめて南無妙法蓮華経と唱えたが、二人、三人、百人と次第に唱え
伝えるようになった。未来もまた、このようになるであろう」
 この日蓮大聖人の心をうけついで、日蓮宗の僧侶と檀信徒はたがいに力をあわせて、
こんにちに至るまで長い歳月にわたり、お題目を唱え法華経を信じ、信心供養に励ん
でまいれりました。
 そして今、お題目を唱え、日蓮宗の信心の第一歩がしるされた、立教開宗の年から
数えて、じつに七百五十年という記念すべき時を、まのあたりに迎えようとしている
のです。
 この時にあたって、私たちは何をなすべきなのでしょうか。
「立教開宗七百五十年といわれても、自分とはかかわりがない」と言って、他人事
のように考えていてよいのでありましょうか。
 日蓮大聖人は立教開宗にあたって、ご自身の体得されたお釈迦さまと、法華経の教
えをよりどころとし、自分もみんなも一同に南無妙法蓮華経と唱え、み仏の智慧と
慈悲を広く世間に及ぼして、世と人の心を浄め、安らぎを与え、すべての苦しみや
迷いをのりこえる道をさし示されました。
 この立教開宗の意義をよくかみしめ、立教開宗七百五十年を目標に、「自分もお題
目を唱え伝えよう、法華経を一文一句なりとも信じ、読み、よく知り、書き写し、ひ
ろめていこう」と誓いを立て、この願いを叶えていくよう努力することが大事なので
す。
 法華経には、「どのような人であれ、この法華経を聞いて素直に信じ、ありがたく
思い、あらゆる場所で力に応じて他の人に語り、それを聞いた人が同じように随喜
の心をおこして他の人に伝え、このように次から次へと語っていき、ついに法華経を
信じるようになった人の功徳はまことに大きい」と説かれています。
 日蓮大聖人が最初に唱えられたお題目、教えを示された法華経は、日蓮宗の僧侶と
檀信徒によって、次から次へと信心のバトンタッチがなされ、私もあなたも、今その
バトンをうけついでいるのです。
 日々の生活に安らぎを得ることも、世の平和を実現することも、先祖のおかげに感
謝して供養することも、寺院・教会・結社の興隆も、檀信徒の家族の安泰も、お題目
の功徳のほかに求めることは出来ません。
 それは、立教開宗によって、日蓮大聖人がお題目を唱えられた時にはじまり、日蓮
大聖人の 志 を、日蓮宗の僧侶・檀信徒がうけついできたからです。
 それ以来、七百五十年を迎えようとする今、私たちはお題目信仰の燈明をかかげ
て、日蓮大聖人が誓願をこめて実行された、立教開宗とはどのようなことであったの
かを、よく知ることが大切です。また立教開宗七百五十年を目標に何をなすべきか、
どのように立教開宗七百五十年を迎えるべきかを、考えていこうではありませんか。
     日蓮大聖人の覚悟と決断  

 建長五年(一二五三)四月二十八日−−−。
 この日、日蓮大聖人は故郷の清澄山頂に立ち、東海よりはるかに昇る旭日に向って、
はじめて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……と、高らかにお題目を唱えました。
 さらに、この日の正午、清澄寺のなかにある師匠道善房の持仏堂の南面において、
浄円房という僧侶のほか少々の人々に対して、はじめて法華経の教えを語ったので
した。
 このように語り出す前には、日蓮大聖人にも言うべきか言わざるべきか、はげしい
心の葛藤がありました。
 お釈迦さまは、次のように教えていました。
 <私は、仏の教えを説いている間、多くの怨み、嫉みを蒙った。まして仏が滅し
たのちの世に、法華経を信じひろめるものには、次々と迫害がふりそそぐであろう。
法華経の教えを実行するものは、いかなる苦難や迫害にあおうとも、これを耐え忍び、
不屈の覚悟と勇猛心をふるいおこして、法華経をひろめていくべきである。もし命を
惜しんで人々に語らなければ、人々を救わないという慈悲なきものとなる。そうなれ
ば、仏の敵となるのみならず、あらゆる人々の敵となるであろう>
 また、法華経にはこう説かれていました。
 <砂の数ほど多い経典を説いたり、乾草を背負って火の中に飛びこんで焼けない
などの難事があろうとも、それはむずかしい事ではない。法華経を一人のために説
くほうが、はるかにむずかしい。仏の滅したのちの世に、この法華経を信じ、読み、 
理解し、書写し、ひろめる事のほうがむずかしい。法華経を信じ、たもつならば、そ
れは仏の身をたもつ事になるのだ。仏が滅したのちの世に、法華経を説くものはいな
いか>
 このお釈迦さまの言葉に呼応して、大地の底から涌き現われた無数の菩薩たちは、
「われ身命を愛さず、たゞ無上道を惜しむ」との決意をあらわし、仏が滅したのち
の末法の世に、どんな困難をもいとわず、それを耐え忍んで法華経をひろめるとい
う誓いを表明しました。
「地から涌き出た菩薩」は、地涌の菩薩と呼ばれています。大衆の中にあって、大
衆の一人ひとりとして、大衆の中から立ち上がって、ひたすら法華経の教えを実行し
て、大衆を救う人々のことです。末法の世に法華経をひろめる仏の使いたちです。
 この地涌の菩薩たちのリーダーが、 上行 ・ 無辺行 ・ 浄行 ・安立行 という四
人の菩薩でした。
 お釈迦さまは、上行菩薩をはじめとする仏の使いである地涌の菩薩に、法華経と法
華経の肝心かなめであるお題目をひろめるよう託し、すべての人々が身と心の悩みや
迷いをなくして、仏のつんだ功徳を受けとり、大きな慈悲心を持つよう教え示したの
でした。
 日蓮大聖人は、三十二歳になって、このお釈迦さまと法華経の教えの通りに実行し
ようと念じました。
 そのとき、日蓮大聖人は、
 (もし、法華経を一言でも語り出したならば、自分だけでなく父母・師匠などにも
必ず迫書が加えられるであろう。自分も流罪・死罪になるかも知れない。世間が恐
しいといって途中でやめてしまうならば、語り出すのをやめよう。しかし、仏の敵に
なるべきではない。人々を助けないという無慈悲な事をしてよいであろうか。お釈迦
さまの諌めに背く事が出来ようか。言うべきか、言わざるべきか、二つに一つなの
だ。それならば、言おう。語り出そう。どんな苦難にぶつかろうとも、命がけで法華
経を信じつゞけ、ひろめていこう。今こそ、強い菩提心をおこして、けっして退くこ
となく、法華経をひろめよう)
 日蓮大聖人は、ついに、このような「願」をおこし、思い切って法華経を説き、
お題目を唱えるようすすめ、「法華経の行者」としての第一歩を踏み出す決断をし
たのでした。

 

     立教開宗−−−報恩と誓願

 “この日本国で、法華経こそ、お釈迦さまの説かれた最もすぐれた第一の経である。
ほかの経は、仮に説かれた方便の教えである。この真実の法華経を信じれば、その
身のまゝで苦しみから離れ、仏の大慈悲心を持つことが出来る。もし、法華経をそし
るならば、その人は長い間、重い苦しみから抜け出すことは出来ない”
 これが、日蓮大聖人の第一声でありました。
 このとき日蓮大聖人は、恩ある人を助けたい、生と死に迷い苦しむ人を救いたいと
いう願いをこめて、今までの勉学修行で得た、真実の教えとは何かを説いたのです。
 「この世に生きている私たちにとって、最も縁の深い仏は、お釈迦さまたゞ一人で
ある。ほかの仏たちは、私たちを救ってくれる仏ではない。お釈迦さまは、私たちに
とっての救い主であり、導きの師であり、親しき父母である。しかも、お釈迦さまは
この世に、水遠の命をとゞめ、等しく仏の子である私たちを、救い導こうと誓われてい
る。本仏であるお釈迦さまを信じ、敬い、仏の大慈悲心を身にも心にもたもちつゞ
けるならば、人は皆すべての苦悩から離れ、仏と同じようになれるのである」
 「経は多い。教えにもいろいろある。しかし、お釈迦さまの真実の心をあかした正
しい教えは、たゞ法華経(妙法蓮華経)だけである。法華経は、経の王である。法華
経には、すべての生きとし生ける者を仏にし、救っていこうとする仏の誓願が語られ
ている」
 「この法華経の肝心かなめが、南無妙法蓮華経という法華経の題目である。お題目
は、身と心の病をなおす良薬である。仏になる種なのだ。一心に声も惜しまずに、お
題目を唱えるならば、自然に仏のつまれた功徳が譲り与えられる。あらゆる苦悩、さ
まざまな悪から脱れ、現世は安穏となり、未来には仏の世界に安らかに住むことが
出来る」
 このように、日蓮大聖人は説いたのです。
 日蓮大聖人の胸中には、
「もとより、学問修行をしてきたのは、仏となって、恩ある人を助けたいと思った
からである」
という誓いがこめられていました。
 「出家の身となったのは、父母を救いたいからであった」
 その願いが、深く強く心のうちにありました。
「日本第一の智者となしたまえ」と、清澄寺の虚空蔵菩薩に願を立て、ついに仏
の教えを知ることが出来た、感謝の気持ちがありました。
 十二歳のときから自分を教えてくれた、師の道善房の恩に報いたい、という思いも
ありました。
 仏弟子は、恩を知り、恩に報いる生き方をしなければならない。そのためには、わ
が身が、仏の教えをマスターする智者となり、真実の教えである法華経を、どのよ
うな困難にぶつかろうとも、恐れず、くじけずに語りつゞけ、ひろめていかねばなら
ない。
 日蓮大聖人は、この<報恩と誓願>をひしと心に刻みつけて、「仏の誓いに背いて
はならない」「仏の恩に報いよう」という決意をもち、思い切って清澄山で最初の説
法を行ったのでした。
 のちに日蓮大聖人は、このときをふりかえって、こう述べています。
「日蓮は、世界のなかの日本、日本国のなかの安房の国 東条郷 において、はじ
めて、この正しい仏法(正法)をひろめたのである」
 真理は少数よりはじまる、と申します。
 日蓮大聖人は、困難をいとわず、わずかな人々に向って法華経を語り、お題目を唱
えるようすすめました。立教開宗は、ここからはじまったのです。
「全世界のなかで、仏が入滅されたのちの二千二百二十五年の間に、一人も唱え
なかったお題目を、日蓮一人、南無妙法蓮華経と声もおしまず唱えているのである」
 日蓮大聖人は、お題目を唱えることによって、あらゆる人から受けた恩に報いよう
とし、法華経に示された仏の大慈悲心をすべての人が持つよう、お題目をひろめつづ
けたのでした。
 「日蓮の慈悲が広く大きければ、南無妙法蓮華経は、万年のほか未来までも流布
するであろう。お題目には、日本国の人々の心の闇をとりのぞく功徳がある。法華
経の正義をそしる者が、地獄の苦しみに堕落する道を、ふせぎとめる功徳をそなえて
いる」
 日蓮大聖人は、このように示されました。
 こうして “慈悲のお題目”を唱え、すべての人々が煩悩をとり除き、苦しみをのり
こえ、喜びと安らぎの心を抱き、仏のような慈悲の心を持って生きていくよう、お題
目をひろめたのです。
 このスタートこそ、立教開宗の時、建長五年四月二十八日でした。
 「日蓮は、去る建長五年四月二十八日より、今年弘安三年十二月に至るまで、二
十八年の間、ただ南無妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切の人々の口に入れて、
唱えさせたいと励むばかりであった。これはつまり、母が赤ちゃんの口に乳を入れて
のませようと励む、慈悲の心と同じである」と、のちに日建大聖人は語っています。
 日蓮大聖人にとって、建長五年四月二十八日は、お題目を人々に唱えるようすすめ
た重大な原点であり、これを出発点として、日蓮大聖人は、世の平安と人間の幸福を
実現する仏の使い、法華経の行者としての、記念すべき第一歩を開拓したのでした。
 さらに、この立教開宗の時、日蓮大聖人は大いなる誓いを立てたのです。
 日蓮大聖人は、どんな甘い言葉や脅かしがあろうとも、いかなる大難に値おうとも、
けっして法華経を捨てることはない、という願いを心に刻みつけながら、
 「われ、日本の柱とならん。われ、日本の眼目とならん。われ、日本の大船となら
ん。と誓った願を、けっして破らない」
との強い覚悟を表明しました。「三大誓願」といわれています。
 これが、「立教開宗」のいきさつです。
 こうして、はじめて法華経が語られ、お題目が唱えられた建長五年四月二十八日
こそは、日蓮大聖人が法華経の行者、仏の使いとして生れかわった出発点であり、そ
の信仰と教えを伝える私たちの日蓮宗が、この日本に生まれた創立記念日なのです。

 

      「日蓮」の名のりをあげて

 日蓮大聖人は、幼名を善日麿といゝました。十二歳の時、父母のもとを離れて清
澄山にのぼり、道善房を師匠とたのみ、兄弟子の浄顕房、義城房の手ほどきを受け
て、学問修行にいそしみました。この折には、薬王麿と呼ばれました。やがて、十
六歳で出家し、是聖房蓮長と称するようになりました。
 そして三十二歳の時、比叡山での修行を終えて故郷の清澄山に帰って来た時、是聖
房蓮長は、「日蓮」という名のりを公にあげました。それが建長五年四月二十八日、
つまり立教開宗の日でありました。
 名は体をあらわす、と申します。名には、誓いや願いがこめられています。名にこ
められた徳性を身につけたい、という希望が名に託されています。
「日蓮」という名は、法華経の行者として生きていこう、妙法蓮華経の徳を身に
つけ、それをひろめていこうという誓願を、結晶したものでした。
「日蓮」の「日」の一字は、法華経神力品(第二十一)にある<日月の光明の能
 く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅し、無量の
 菩薩をして畢竟して 一乗に住せしめん>
という一節から選び取ったものでした。
「蓮」の一字は、法華経従地涌出品(第十五)に示された、<普く菩薩の道を学
 して、世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し、地より涌出して、皆
 恭敬の心を起して、世尊の前に住せり>
の言葉にもとづいていました。
 いずれも、仏の使いである上行菩薩などをリーダーとする、地涌の菩薩たちが
お釈迦さまの前で、末法の世に法華経を語り示していく、強い誓願を表明した言葉で
あれりました。
 この仏使上行菩薩および、その使いとしての自覚に立って、法華経と共に生き、
法華経に命をささげ、法華経をひろめていこうと誓願を立てた時、「日蓮」という名
のりがあげられたのです。
 「日蓮」の名のりにこめた自覚を、日蓮大聖人はこう述べています。
 「およそ、名ほど大切なものはない。日蓮と名のる事は、自ら法華経の一仏乗を
信じ理解したからである。このように言えば、利口ぶっているように聞えるが、法華
経の説く道理の指すところに従えば、さもあろうと思う。法華経には、<日月の
光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す>
とある。<斯の人>とは、釈迦牟尼仏より、末法の世に法華経をひろめるよう委託
された上行菩薩が、末法のはじめに出現して、南無妙法蓮華経の光明をそそいで、生
死の苦しみをさまよっている人々の心の闇を照らす、という事である。
 日蓮は、この上行菩薩の御使いとして、まず日本国の人々に法華経をすすめるのは、
この経文の通りに実行しようとしているからである」
 さらに、次のようにも語っています。
「闇であっても燈をつければ明るくなる。濁った水でも月が宿れば澄む。明る
いことは日月の光にすぎるものはない。浄らかなことは蓮華にまさるものがあろう
か。法華経は、暗い世の中を明るくし、濁った人の心を浄める日月の光と清浄な
蓮華なのである。そこで、妙法蓮華経と名づけられている。日蓮もまた、その日月と
蓮華のように生きるものなのだ」
 太陽の光のように明るく
 まっくらやみの世の中と、人の心の闇をとりのぞいていこう
 泥にまみれながら、花を咲かせる蓮華のようにきよらかに
 世と人の煩悩の垢や泥を洗いながし、身も心もきよめていこう
 日蓮大聖人は、こう誓願してみずから「日蓮」と名のり、仏の使いとして生き、
菩薩行に身を献げることを誓ったのです。

      お題目の輪をひろげよう  

 日蓮宗には大事な聖日があり、この時に行事がいとなまれています。
 立教開宗会(四月二十八日)は、宗祖降誕会二月十六日)、お会式(十月十二
・十三日)や、法難会と並ぶ重要な聖日行事であります。
 この聖日行事をいとなみ、この時に参詣することは、日蓮宗と縁を結んでいる私た
ちにとって大切なつとめです。
 この聖日を、ただ過去の出来事と考えたり、単に行事をおこなう日としてのみに終
わらせることなく、この時にあたって、日蓮大聖人の信仰と生き方に学び、その教え
をうけつぐことを誓い、お題目の信仰に励んでいくことが何よりも大事です。
 いま日蓮宗では、この立教開宗の精神を体し、立教開宗七百五十年という千載一遇
の時を目標にして、立教開宗七百五十年慶讃の準備にとりくみ、同時に昭和六十年
以来、十八ヵ年にわたる「お題目総弘通運動」(お題目を唱え伝えひろめる運動)
を進めております。
 「お題目総弘通運動」は、私やあなたや、お題目を唱えている人も、唱えていない
人にも、お題目を皆共に唱えるようすすめ、日蓮大聖人が誓いを立てたように、一人、
二人、十人、百人と、お題目を唱え伝えて、みんなが仏さまの慈しみの心をもって
生きるよう願い、お題目の輪を、今の世に大きくひろげていく運動です。
 この「お題目総弘通運動」は、立教開宗七百五十年を意義あらしめ、現在と未来の
世にお題目との縁を結び、お題目の功徳をわけ与えて、立教開宗の精神と行動をうけ
つぎ、こんにちの時代にいかしていくことを目標にしています。
 「立教開宗七百五十年」を慶讃するのは、たまたま祝賀すべき時期が来たから、
というだけではありません。立教開宗七百五十年を期して、立教開宗というお題目の
始唱、日蓮宗の開創を祝うとともに、お題目を唱え伝えひろめるための実践にとり
くむためであります。
 僧侶も檀信徒も、さらに求道心、信仰心を高め、未信の人々に広くお題目を伝え
ていくために、仏事法要、お題目信行大会・集い、記念の布教や事業を行っていかね
ばなりません。
 また、清澄寺はじめ各地に、研修や修行をおこなう道場をつくり、信心をバトン
タッチしていく人材の、教育と育成に努めることが必要です。
 全国各地の寺院・教会・結社が等しく「お題目の道場」として、生き生きと発展す
るよう支援しあい、さらに日蓮宗全体として、現代に適応する総合的な布教・教育・
研修・実務運営の場を建てる、などの事業にとりくむことが大事です。
 こうした行事・事業を通して、「お題目総弘通運動」の内容を具体化し、布教の拠
点をきずき上げることが、立教開宗七百五十年を意味あるものとして迎える、私たち
の為すべき仕事と申せましょう。
立教開宗七百五十年にあたって、こうした、お題目を唱えひろめる事業にとりくむ
ことによって、日蓮宗の寺院・教会・結社が、お題目信仰を根本として、僧侶と檀信
徒みんなが異体同心・水魚の思いをさらに強めあい、一致協力していくことが不可
欠です。
 また、日蓮宗内部の記念行事や、お祝いごとだけにとどまらないで、広く社会にお
題目を伝え、日蓮大聖人の教えをひろめていく活動を、行っていくことが大切です。
 こんにち、世界は激しく変化し、戦争や飢餓、地球環境の破壊など、社会不安は深
刻になっています。日本でも高令化社会や核家族化が進み、さらに、社会全体にわ
たって不信感や生活不安はつのり、物は豊かになった反面、心が置き忘れられ、利己
主義に充ち、心と心のふれあいが失われています。しかし、人は精神的に豊かな人生
を送りたい、自分の個性に適した生活がしたい、という望みを抱いています。安らぎ
と平和と幸せを求めています。
 こうした中で、信心によって人と人、心と心の絆をつくりあげ、下種結縁をめざし、
立教開宗七百五十年の慶讃事業と、お題目総弘通運動を車の両輪として、二十一世紀
初頭に、お題目による信仰的な結びつきを持ちあい、第二の立教開宗を実現するため
に、努力することが求められています。
 立教開宗七百五十年を迎えるにあたって、私たちは次の点を心かけ、実行していき
ましょう。

 

 
 立教開宗は、お題日から。  

 お題日の信心修行に特進しよう。お題日を唱えるよう人々にすすめていこう。

 立教開宗の意義を学び、語り合い、日蓮大聖人の誓願と報恩の心をうけつぎ、正法
 をひろめて、国や社会の平安をめざしていこう。

 立教開宗七百五十年をお祝いし、日蓮宗ならびに寺院・教会・結社の興隆をめざし
 て慶讃事業にとりくんでいこう。

 日蓮大聖人立教開宗の根本精神をうけつぎ、立教開宗七百五十年を期して、僧侶、
檀信徒そして有縁の人々が、たがいに力を出しあい、心を尽くして、お題目を唱えひ
ろめ、立教開宗七百五十年慶讃の事業・行事に参加し、とりくむことが、私たちの今
なすべき責務なのです。
 さあ、一緒に、立教開宗七百五十年慶讃をめざしていこうではありませんか。

 
立教開宗七百五十年慶讃シンボルマーク

   輝やく日輪。
  きよらかな蓮華。
  2002年は、立教開宗750年。
  未来を照らす光のメッセージ。