鳩摩羅什について




◇生没年は?      384-417 350-409 諸説あり。 中国「銚泰」ヨウシン時代  

◇産まれた所は?   シルクロード要衝であった亀茲クチャ。(敦厚の西、タクラマカン砂漠の北。)

◇両親は?       父はインド人の鳩摩羅炎 クマラエンKumārayana 母は亀茲クチャ王の妹のジーヴァカ。

◇何を翻訳したのか? 『妙法蓮華経』7巻 『座禅三昧経』3巻 『阿弥陀経』1巻 『大品般若経』24巻 『維摩経』3巻
               『大智度論』100巻 『中論』4巻 『十二門論』 『百論』 『龍樹菩薩伝』 等

◇お墓は?       「草堂寺」 中国西安市の南郊外。

「妙法蓮華経」を漢訳した方です。

羅什三蔵の生涯

参考文献 

△『妙法蓮華経の生い立ち-鳩摩羅什三蔵について』  野村耀昌   さだるま新書

Kumara-jiva クマーラ ジーヴァ

鳩摩羅什(くまらじゅう)の銅像(キジル石窟) NHKスペシャルより。

地 図


中国の南北朝時代初期に仏教経典を訳した僧。インドの貴族の血を引く父と、亀茲(キジ)国の王族の母との間
に生れた。7歳のとき母とともに出家した。はじめ原始経典や阿毘達磨仏教を学んだが、大乗に転向した。主
に、中観派の諸論書を研究した。384年、亀茲国を攻略した呂光の捕虜となり、以後18年間で涼州での生活を
余儀なくされた。のち、401年に後秦の姚興(ヨウコウ)に迎えられて長安に入った。以来、10年足らずの間に精
力的に経論の翻訳を行うとともに、多くの門弟を育てた。  東アジアの仏教は、鳩摩羅什によって基本的に性
格づけられ方向づけられたといってよい。門弟は三千余人に上ったという。
『妙法蓮華経』は中国の隋の時代の高僧である天台大師智顗(538-597)の法華経中心とした仏教へとつなが
り、日本の伝教大師最澄(天台宗)や日蓮聖人(1222-82)の仏教へとつながる。また、天台大師智顗とほぼ同じ
時代、日本の聖徳太子(574-622)も羅什訳の『妙法蓮華経』を読んで有名な『法華義疏』を著作された。
鳩摩羅什が亡くなる前に弟子たちに、私が火葬されたとき、私が嘘を訳したのなら体の全てが焼かれるであろ
う。といい火葬後、鳩摩羅什の遺灰に舌が焼けずに残ったという。