へなCHOCOレート"アレクセイ ヤグディン寄り道ページ"


「ヤグディン君、語る!」

ちょっと Alexei


世界選手権で史上2番目の若さでチャンピオンに輝いたアレクセイ・ヤグディン
(最年少は1963年のドナルド・マクファーソン たった6日だけなんですが)

彼は優勝後 ロシア地元紙のインタビューで以下のように答えています。

−ミネアポリスにクーリクが出場しなくて本当に僕は幸せでした。


Q 世界選手権に クーリクとストイコがでないと知った時は悲しかったですか?

「 悲しい? 有力な選手が出ないとわかってうれしくて飛び上がりたかったくら
いです。彼らが出られない理由なんて僕には関係ないから。ただ彼らがいない
っていうことはそれだけ僕の勝つチャンスが大きくなるってことだったから。
相手が強いからって逃げ腰になったことは一度もないけど、でも僕の心配する
ことじゃないから。ストイコやクーリックがいなかったことで金メダルの価値が
変るなんてことないから。」


Q いろいろいわれていますけど、食中毒のうわさは?

「 新聞では 僕とアーサー ドミトリエフが 同じ寿司を食べて食中毒になったと
書かれましたがそれは違います。他のスケーター達が食べたのと同じレストラン
で食べた1時間後に気分が悪くなったのです。ミーシンコーチは驚きませんでし
たよ。だって僕よくおなかこわすから。」


Q どうして?

「時差ぼけとか食事の違いとかにすごく弱いんです。他の国のレストランで
食事をする時は覚悟して食べているんです。後でどんな病気になっちゃうか
わからないから。でもミネアポリスでは大事にならなくてよかったです。
コーチが医者に連れていってくれて、薬をもらいホテルに帰りました。
次の日には元気になっていました。SPの時は少し体が重かったけど。」


Q フリーの演技の後は不満足そうだったけど。

「あの時自分でも信じられないくらい疲れていました。突然の疲労と
いうのではなくてシーズン中の疲労がどっと出て体から力がぬけて
いくのがわかりました。ミスも多くて 心の中で『僕の夢だった勝利よ
さようなら』って思いました。まだ エルドリッジとプルシェンコも
残っていましたし。」


Q いつ自分の勝利を確信した?

「 プルシェンコが最初の4回転で転んだ時です。」


Q 会場中がエルドリッジを応援しているアメリカで滑るのは大変だった?

「 最終日には アメリカの国旗と彼の応援の横断幕でいっぱいだったし、
彼にはすごい声援があり、僕たちの時には信じられないくらい会場は
静まり返っていましたから。でもそれで僕がエルドリッジを倒せない理由
にはならないから。」


Q チャンピオンズ オン アイスに招かれているけど

「 はい。ツアーは各地をまわって充分に休みを取る時間が
ないんですよ。でもトムコリンズは非常にプロフェショナルに
運営されているので 交通やら食事やら宿泊とかは全然心配しなくて
いいし、自分のバッグだって運ばなくてもいいんですよ。 いい演技を
することだけが僕らの仕事なんです。」


Q 他の人からの批評とかは気になる?

「比較的冷静に捉えています。僕は日常生活ではとっても怠け者なんです。
いつもママからは 「皿を洗いなさい」とか 「ごみをかたずけて」とか
いわれています。練習がおわって家に帰ってくると食事をたべて横になって
テレビをみて、そんな時には世間が僕のことをどう言おうともあんまり気になりません。」


Q ジュビリーアリーナが取り壊されるという噂は?

「 本当です。5/10までに僕らはでなくてはいけないんです。
2000年のホッケーの世界選手権用にアリーナを建て直すのです。
9月までには僕らは戻れることになってるけど。信じられないです。
そんな短期間でそんな大きなプロジェクトができるわけないから。」


Q どこで練習するの?

「 コーチはいつも夏には僕らのために場所を与えてくれます。
今回もどこか考えていてくれる筈です。」

涙をふけよ なあ Alexei


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