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上田紬と真田紐
1上田紬を生んだ風土
 
   
 上田の産業を担った蚕糸業のうち、蚕種製造は江戸時代寛文年間に塩尻村で始まり、幕末には急激に増加しました。  蚕種業の発展には、地域の気候、風土が大きく関係しています。上田の西方坂城町との境辺りの半過岩鼻は、千曲川から一気に約100mも切り立った崖で、対岸の下塩尻にも急峻な崖があり、その間を縫って吹く風は「唐箕の口」と呼ばれるほど強く、干した布団をも飛ばしてしまうほどでした。その強い風は千曲川に沿って吹き抜け蚕に寄生する【きょうそ】(カイコのウジバエ)を払い落し良質の歩桑を育てることができ、塩尻から大屋にかけて川の左右の地域に蚕種屋が多く存在しました。  上田藩では、米を中心とする年貢の確保に差し障る為田畑に桑を植えることを禁じていました。農民は山裾の傾斜地には石を拾い段々畑を作りました。川原では拾った石を周囲に積み上げ、洪水に対応しながら良質の歩桑(ぶぐわ)を作りました。この石積みを「やっくら」と言います。   やっくら
塩尻地区に残る「やっくら」
明治時代になり幕府や藩の規制がなくなると桑園はさらに増加していきました。 桑畑の面積は上田・小県で長野県の25%を占めた頃もあり、それは養蚕業の実態を反映しているものでした。養蚕農家戸数は1万4千を越え、ほとんどの農家が現金収入の道として養蚕を営み、蚕種屋も2千を数え、全国の7%程を占めました。 養蚕業の衰退に伴い先人の苦労と努力のたまものの桑畑も、リンゴ畑、川原の野菜畑、大住宅団地、荒地等と変わっていきました。
 
「蚕種屋」(たねや) 
養蚕、蚕種製造業は全国有数を誇る上田の産業でした。蚕種屋は繭から羽化した成虫のメス・オスを掛け合わせ卵(蚕種)を製造し、それを県内外の養蚕農家へ販売して歩きました。 明治後期には国内販売路は北海道から沖縄まで3府43県に及びました。蚕種の代金は養蚕結果によって集金するシステムでしたので、蚕種屋は収益を上げるために、優良な蚕種を用意することは勿論のこと、桑の栽培や養蚕方法も積極的に指導しました。塩尻村の塚田与右衛門は、宝暦7年に「新選養蚕秘書」を、清水金左衛門は文政6年に「養蚕教弘録」をあらわし桑の栽植、蚕種、養蚕全般に渡っており広く親しまれました。又、清水金左衛門は蚕室の換気と除湿を力説し乾湿計を考案しました。 明治元年には輸出量189万枚のうち、塩尻村を中心とする上田産は63万枚を占めました。 種場に行商に出かけた蚕種屋では、妻が家を守り、出先からの注文に合わせ蚕種を作り、雇い人の世話をし、子育て、家の切り盛りと内助の功を発揮しました。蚕種の行商は、1度家を出ると2ヶ月もかかることがありました。長期間の滞在であり、自己管理の為常備薬を身に付けていました。種場の人々の「置き薬」ともなり、それはまた自分の宣伝と販路の拡大にもつながりました。  大きな蚕室の屋根の上に「気抜け」と言われる屋根や門構えの家が塩尻地区を始めとしてあちらこちらにまだ残されています。 そんな蚕種屋には、繁栄を極めた頃に誂えた高価な衣類や「曲げ物七ツ鉢(切溜)」「輪島塗、家紋入りの盃洗、はかま」などの什器各21人前「有田焼和食器一式」書画、骨董品が今も大切に残されています。
改良まぶしと繭
黒漆松に鷹模様沈金「盃洗」・「はかま」
改良まぶしと繭
黒漆松に鷹模様沈金「盃洗」・「はかま」
 
 
「養蚕農家」
農家では総出で養蚕に携わり、春蚕から晩秋蚕まで、女性も子供も桑摘み、桑もぎ、桑くれで昼も夜も猫の手を借りたいほどの忙しさでした。家中がお蚕様でいっぱいで人間はその間で寝たという話もあります。 平成8年上田市最後の養蚕農家がなくなりましたが、蚕種を取った後の出殻繭から真綿を作り糸を紡いで織った紬物は丈夫で軽くて、暖かい特性を保ち、現代女性を包み込んでいます。 伝統工芸品「上田紬」の名称で帽子、ちょっとした小物に近代感覚を伺わせて、おみやげ品として店頭に並べられています。  
※用語  ここで養蚕、蚕種業で使われていた用語を書き留めておきます。                           
     
(かいこ)   通常4回脱皮し成長。糸を吐き繭を作る。絹糸が取れる。
蟻蚕(ぎさん)   卵からかえったばかりの蚕、毛蚕(けご)ともいう。
熟蚕(じゅくさん)   蚕が玉令となり成長。体が透き通る…ひきる
上蔟(じょうぞく)   繭を作らせる為まぶしへ
(まぶし)   繭を造らせる為に入れる道具。ワラの物、ダンボール製有り
蚕種(さんしゅ・さんたね)   蚕の卵をさす産業用語
蚕卵台紙(さんらんだいし)   蚕蛾(かいこが)に卵を生みつけさせる紙、たね紙
出殻繭(でからまゆ)   蟻を取り出したため、繭に穴があき生糸を挽くことができない。真綿にする。
真綿(まわた)   玉繭や出殻繭から作る。真綿かけという木枠にかけて薄く伸ばす。この真綿から糸を紡ぎ織った布が上田紬。
 
(金井栄子)


上田紬と真田紐          
  *目次*(トップページ)  
  (1)上田紬を生んだ風土 (2)虫干し―衣の海 (3)紬を愛でる (4)真田紐のあゆみ(5)真田紐の現在